インド滞在記 #1(2004年~2005年)
2004年、当時22歳の大学院生だった私は、ひょんなことから大学院を1年間休学して、インドで一年間暮らしてみるという選択をしました。いま思い返してみても、この一年間は私にとって濃密で濃厚、刺激的で衝撃的な日々でした。言わずもがな、その後の私的な人生へ与えた影響は計り知れません。
そこで、たくさんは残っていませんでしたが、当時のフレッシュな記録(手記)をまとめてみることで、我が青春の20代を回顧してみようと思います。
2004年9月9日
名古屋空港からインチョン経由でインド(ムンバイ)へ入国した。安さを追求した結果、コリアンエアー1年オープンで飛んだのだが、乗り換えが悪く、インチョン国際空港で10時間以上も待たされる羽目にあってしまった。空港の近くには何もなさそうだったし、出国手続きが面倒だったので、乗り換え待ちの間ずっと空港内にいたのだがおもしろいことに気がついた。
日本人の多さである。
今では北海道や沖縄に行くのと同じ位かそれ以下の金額で訪れることが可能なためか、空港内の至る所から日本語が聞こえてきた。ある日本人のおっさんにいたっては荷物チェックを受ける際、空港職員に
「こっちは(英語も韓国語も)わからんのじゃ、日本語で話せ!」
と、さも当たり前のように日本語で怒鳴っていましたが…。顔が似てるだけじゃ話せないということがわかっておられたのでしょうか?
そういえば、待合ロビーのテレビでは「ムコ殿」を映していた。音声は日本語で、画面下にハングルの字幕が出ていた。そんな感じで、インチョン空港ではまだあまり外国に来たという気がしなかったなぁ。
しかしながら、インチョン-ムンバイ間は全く違っていた。乗客はほとんどインド人だったし、いっきに外国ムード満載だった。
ムンバイについたのはインド時間の深夜1時半頃で、私がお世話になる(ホームステイさせてもらう)ゴアに住むインド人の叔父さんの、兄弟の方(ムンバイ在住)が迎えに来てくれていた。
初対面のため、その方にはあらかじめ私の顔写真をメールで送っていたのだが、それを白黒で大きく印刷したものを空港出口(到着口)で掲げていたので、私はあたかも指名手配犯になったかのような気持ちだった。
そしてその晩は、その初対面のインド人さんの家に、泊めてもらったのであった。 うん、いっきに外国感120%(インド感200%)になったのだった。(つづく)