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10/31 夢

初めに

皆さんこんばんわ、U10(ユウト)でございます。
本日10月の最終日です。いやーなんというか2023が終わるのってあと少し、自分が卒業するのもあと少しって感覚で時間って流れていくんだなと思いました。少しずつ努力を重ねないとあっという間に就職活動ですね…。ぼけっと過ごさないように気を付けないとですね。今回の記事は単なる自己紹介。自分の夢と生い立ちについてお話できればと思います。多分つまんないと思います。

保育園の頃

電車が大好きすぎてよく『新幹線の運転士さんになるんだ!』と親にも親戚にも同級生にも語ってましたね!保育園の先生にも(笑)。子供の頃の読み物は電車図鑑ばかり読んでた記憶ばかりです。絵本なんか読まずに図鑑(電車以外にも生物や宇宙の図鑑も読みあさってました。)ばかりでしたね。大学の同期に童話の話題されても「知らんな(笑)」としか返せませんね(ちょっと読まないと…)。でも図鑑ばかり読んでたおかげか今の私は雑学マシーンというレベルで雑学だらけですね(特に生物)。特にこれといった努力を保育園時代してなかったですね(まあゆうて3歳のクソガキやからね)。
まあ変に好みに偏りがある無邪気な子供でしたね。

小学校の頃

私が小学校低学年の頃も、相変わらず新幹線の運転士になりたいと言っていましたね。保育園の頃と同じく、無邪気な子供でした。人を疑うことを知らないんです(笑)。でも、少し意地悪な子に悪戯されて、人のことを疑うようになりましたが、それでも無邪気な子供でした(笑)。保育園の頃と同じく、図鑑を読むことが多かったのですが、その頃から歴史の漫画も読むようになりました。特に戦国時代が大好きで、織田信長の漫画は何回も繰り返し読みました。また、エジプトの歴史や伝記など、歴史についての調べものが趣味というレベルで、たくさん読んでいました(笑)。おかげで中学時代の歴史の成績はとても良かったです。その頃は友達とゲームばかりしていた時期でした(ゲーム中毒)。特にポケモンやスターフォックス、スマブラ、ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー、ブレイブリーデフォルトなどのゲームをよくやっていました。また、ポケモンのアニメも見ていたので、周りの子供たちとよく一緒に遊んでいました。ずっとゲーム漬けの低学年でした(笑)。小学校の頃は、習い事もいろいろやっていました。書道やボクシングなど、いくつか試しましたが、あまり長続きしませんでした(笑)。私はなかなかハマらないと、続けることができないようです(笑)。でも友達も増えたし、友達の作り方を知るために通ったコミュニティの中で、いろんな人と出会えたことは良かったと思います。そのおかげで、今でも小学校の頃の親友と仲良く遊んでいます。小学校の低学年からの親友というのは、意外と関係が続くものですね(笑)。たとえ大学で県外に出ても、定期的に会ったりしています。今年の9月も一緒に動物園に行きました。小学校の低学年の頃は、大切なものにたくさん出会いました(親友や新しい知識、夢を持つことの大切さ)。高学年になったばかりの2014年4月、私は小学校4年生になりました。そのころ、アニメ「ハイキュー!!」という作品に出会いました。それが人生で初めてバレーボールというスポーツに触れた日でした。面白いネタで、毎週放送日には走って帰っていました。体育の授業でバレーボールをやるときは、影山に憧れてジャンプサーブを打っていましたね(でも小学校の頃はバレーボールをやっていなかった)。でも、ミスばかりで、周りに笑われていました(笑)。当時の私は、お調子者でしたね。小学校の高学年になると、少しずつ悪知恵の使い方を覚えてきました。効率良くやる方法を考えて、日々を過ごしていました。だから、気に入らない先生の考え方に納得できず、腹が立つこともありました。先生に限らず、色んな人に対して生意気な態度を取っていた記憶が今でも残っています。この頃はボクシングをしていましたが、あまり好きではなかったので、嫌々やっていました(笑)。さて、私の夢の話をしようと思います。4年生から5年生の頃は、変わらず…なんですけど、6年生になると夢が変わりました。声優になりたいと思ったのです。自分なりにアニメキャラの声真似をして遊んでいました(モノマネが得意になったのはこれのせいかな?)。でも、夢を語り始めたのはそんなに長くはありませんでした。声優の現状をテレビで知って、本当にやりたい人だけが成功する仕事だということを理解しました。その後は、特に夢を持たずに何となく過ごす半年でした。卒業式のとき、周りの子供たちは泣いていたのに、私は泣いていませんでした(高学年の自分は学校が好きではなかったので)。うざい先生たちとも、これでお別れだと思っていました。血も涙もない奴だなと思われたかもしれません。

中学生の頃

中学時代は、特に夢がなかったですね(笑)。部活は近所に住んでいた先輩に勧誘されてバドミントン部に入っていました。東海大会出るためにみんな部活をやっていたのでとてもきつかった記憶があるし、仲間からも厳しい指摘があったことを今でも鮮明に覚えています。ほんとに苦い思い出がよみがえる(笑)。成績は普通ですね(500点満点中340点ぐらいの点数でした)、特に目標もなかったので悪い点数さえ取らなきゃいいや程度のモチベでした(それが中3の受験に大きく響くわけなのですが…)。そんな部活にも勉強にもやる気がない奴にも中学時代2人も彼女ができたなんて信じられません(笑)。よくも悪くも味気がなくてモノクロな中学時代でしたね。特にバドミントンなんて引退するとき【俺はもうバドミントンはいいかな】なんて思ってました。なんか引退試合が近づくに連れて自分の選手としての限界を強く感じてきていたんですよね(笑)。みんなテンション上がる中で、一人だけダダ下がりでした(そんな俺でも監督は団体戦メンバーの補欠に選んでくれましたけど)。そんな感じで引退して高校受験期に入り。バドミントンなんか一切せずに勉強してましたね(テレビはバリバリ見ていた)。それから3か月後、10月初旬あたりワールドカップバレー2019が開幕。当時中3の私は受験の息抜き程度に見るかと思い見ていたのですが(小学校の頃ハイキューくそ見てたのでルールは完全に理解していました)。
 
これが運命の出会いだと思いました。当時19歳だった西田有志選手がすごくかっこよくみえました。もちろんなんでもできる石川祐希選手、リアル影山飛雄の関田誠大選手、そして今年の3月に天へ旅立った藤井直伸選手、スーパースターだらけでしたけれど、それらを無視して西田選手のインパクトはすさまじかったです。『俺と4つしか変わんないのにえぐい!』と思いました。そこから高校でバレーボールを始めるんだと志しました。その影響か勉強するモチベが少し上がりました(耳カス程度の上り幅ですけど)。それから1か月の県学調点数は目標の点数を取れませんでした。担任からは第一志望の公立いけないよと言われてしまいガン萎えしていましたね(笑)。他の公立も考えたんですけどね…大学いける公立じゃなかったんで、大学の付属私立一本にして私は受験を迎え楽に合格していました。受験が近い1月から3月の時期はコロナが流行し始めていて、あちこちでマスク消毒といったワードが出始めていました(これ大丈夫なんか?といった不安を抱えていましたね(笑))。そして2020年2月末…武漢ウイルス(新型コロナウイルス)大流行し緊急事態宣言が発令!全国の学校は休校へ(笑)。そして3月の学校はカット(笑)。3月の16から再開してろくな練習もせずに19日卒業式をむかえましたね(笑)。卒業式はめっちゃ楽で座ってる時間が短くて当時は「めっちゃ楽ちんやん」とか思ってました。しかし担任の先生と少し話して門を出ようとした瞬間にすべての思い出が走馬灯のようによみがえってきました。始まりは賑やかで途中もとてもとても刺激(辛かった記憶7、楽しかった記憶2、怒った記憶1割)があったけれど最後はとても寂れた雰囲気で終わった3年間だったなと自分は思いました。しかしそのころの私は知りませんでした。高校の三年間のバレーボーラーとしての生活は自分を大きく変え、今後の人生の財産になるという事を。

高校生の頃

2020年4月私は大学の付属高校に入学。入学後早速の休校でした。2カ月続き実際に学校が始まったのは6月、削られた2カ月間というのは今でも鮮明に覚えています。夢はあれですね、いろんな方のお話を聞いてコロコロ変わっていましたね。高校での部活は夢見ていたバレー部。これからキラキラとしたハイキューみたい(程ではないではないけど)な青春が待っているんだと思いました。しかし現実は私の綺麗な妄想を安定でぶち壊してくれました。当時の顧問は私の代の学年主任で部活動の指導にはあまり来れていない状況でした。最初こそちゃんと厳しく練習に取り組む3年生たちがいて部の雰囲気は素晴らしいものでした。しかし3年生が引退して1つ上の代からは、筋力トレーニングをさぼり始める、練習中にふざけ始めるなど、自分の想像していたものとは大きくかけ離れていました。そして練習試合で負けて、公式戦で負けて、勝ちなんてものをみんな諦めていました。そうなっていた高1の一月私は自分は時間をかけた分だけうまくなってないと気づきました。これは自分が悪いのか?と自問自答をずっと繰り返しました。いや環境が悪すぎると考え高校の近所の外部チームに入団しました(ポジションはOHで)。そこから外部の監督の顧問の指導もあり、飛躍的に自分の技術は大幅に伸びました。
 2021年4月、高1の顧問が業務が忙しく副顧問(バレー未経験者)が監督になりました。まあそんな部活に来なかったですね。その割には偉そうに物事をいうので部員の反感はすごかったですね。そのせいか自分たちの代もそんなに練習はまじめにやってなかったですね。しかし僕としてはバレーボールにはドはまりしていたので、外部での活動は積極的に続けていました。2年生の頃は人の活動が20年に比べると活発化してたので、コロナの休みやオンライン授業が多かったです。まあなんとなくなゆるく生活してて2年生も終わり春休みに突入しました。
そして2022年4月5日始業式前日バレーボールで小指を突き指しました。翌日病院へ、診断結果…剥離骨折。人生初の骨折でした。そして僕の高校バレーはここで終わりました。はい最後の大会は未出場。しかもその数日後に完治ですからね。なんともいえませんね。しかし完治後はそのまま外部チームに復帰(当時ポジションはOP高校2年生の10月からやっていました)。復帰直後の練習日より練習後に監督から呼び出されました。監督から衝撃の言葉をいただきました「U10セッターやってみない?」。いやまさか?おいおい、たまに冗談で『セッターやってみたいです』とか言ってたけれど(笑)。ここでオファー来るなんて。人がまともに集まらず公式戦の出場はなかったけれど楽しかった高3のセッター道でした。色々バレーボーラーとして濃い3年間を過ごしました(特に高3の一年はえぐかった)。高3の一年は筋力トレーニングに重点的に取り組みました。外部の練習がない日は近所の体育館でトレーニングをしていました。そこからは楽しく日々をすごしバレーとトレーニングと反省、実行を行う毎日でした。一番考えてバレーをしていました。そうした日常と共に修学旅行、文化祭、体育祭と楽しい行事が過ぎて行って気づけば2023年3月3日僕は卒業していました。一生の財産になる3年間を過ごしました。そして同年3月29日外部チームを退団。いた年月は2年2カ月。大きく成長できました。

そして今

今の私の将来の夢は、IT系の職業に就くことか鉄道会社勤務です。実現に向けて日々勉強しています。大好きなバレーボールは?というと、アルバイトとかその他もろもろが忙しくてできておりません(笑)。サークルには入っているんですけどね!でもいつ復帰してもいいようにトレー二ングはしております。私もまたセッターとしてコートに立ちたいです!長々と語りすぎでしまいました。この文章が良ければいいねしてください!
ではまた金曜日に。

おまけ 私に大きな影響を与えた人

時系列
その1 父と母
間違いなくこの2人は色濃く私に影響を与えてますね。
1.自分らしく生きる事(父と母)
2.どんな時でも思考を放棄しない(父)
3.努力は感覚ではなく論理的にする(父)

私の人生のモットーです。
あまり私に干渉してくる親ではなかったですので私もこういった考え方のもと生きることができています。今の僕が大学生やれてるのも二人のおかげですね。感謝感謝!
その2 小学校時代の親友 スカイ君(仮名)
彼は小3の頃私の小学校に転校してきました。私と彼は相性が良かったのかすぐ打ち解け合いました。これは神様からの贈り物だと9歳ながらに思っていました。彼の優しい紳士な性格に私は人として尊敬を覚え卒業までずっと仲良くしていました。中学では離れてしまったけど。でもアホでふざけすぎなキャラクターでそんなギャップも僕は大好きでした。今でも仲が良く今でも会っています。
スカイ君へ、『お前がいるから俺の人生は豊かや!出会えてよかったよ!これからもよろしく!』
その3 中学時代の親友 カックン(仮名)
彼は出会ったところは不明なんですけど気づいたら知り合っていました。(笑)中2の頃は大してかかわりはなく、私が中3から入った塾で一緒でよく休憩時間お話して、学校でもお話していました。中3楽しめたの彼のおかげでしたね。高校から大学付属高に進む私と地元の公立進学高に進む彼、道は違いましたけど高校時代も塾であったりしていました。今でも会ってます。彼は現役国立大学生で僕よりもはるかにすごい人になっています。
『カックン!20歳になったら呑もうねえ!あと成人式一緒に回ろうね!』
その4 中学時代の親友かつバレとも とっとこリンゴ郎(←長野県出身)
彼との出会いは中1でした。当時野球部4番バッターでした。中学3年間仲良くさせてもらいました。めちゃくちゃ性格が良くて、彼の周りにはたくさんの人がいました。彼の人を引き付ける性格は羨ましく思いました。でもそんな人気者な彼でも『いや俺はすごくないから』と謙虚でした。すごく見習いたいと思いました(今でも彼ほど謙虚にはなれんから大尊敬)。当時ばかで頭悪い会話してなかった記憶が。中学卒業と同時にお互いに別の学校に進学。私がビックリしたのは高1のどこかLINEで部活どこ入ったと聞いた時『バレー部』と来たときはびっくりしたなあ(笑)。野球やめたのが衝撃的でした。ちょくちょく練習試合でも縁があってちょくちょく会ってたっすね。まさかお前がバレー部なんてな。今何してるかわかんないけど!
『一度も対戦したことないから戦おうね!』
その5 高校時代の2人師匠の二人
ノッポさん (MB) ビッグシャインさん(L)
 高校時代1年生にご指導いただいた2個上の先輩二人です!
ノッポさん(こんな失礼な仮名ですいません)はブロックとスパイクのお師匠です。あとはその他の基礎の指導諸々。素人同然の僕に積極的にパスもやってくれて僕は当時うれしかったです。ビッグシャインさんはレシーブの師匠です。球出しもしてくださいましたし。何より普段のレシーブのフォームからお勉強させてもらいました。
『お二人がいなかったら僕はバレーボールも投げ出したと思います!ともにバレーをしましょう!チームメイトとしても!対戦相手としても!次会うときは二人の全盛期を超えて二人を驚かせます!あと吞みましょ('ω')ノ』
その6 外部の監督 Oさんとチームメイト達
 2021年1月に出会った監督さんです。この方は多くのバレー知識と人体の構造の知識を数多く持っており、自然な体の使い方を重点に指導していました。まさに現在の僕を作った人です。どのポジションもできるようになったのもこの方のおかげ。またご指導お願いします。またチームメイト達も素敵な考え方バレーに対する情熱にすごい感化を受けました。ともに過ごしてくれてありがとう。
その7 高3時の担任ジーコ
 ジーコは自分の代の体育の先生です。存在自体は高1の4月から知っていました。高1の時の保健の担任で面白い授業をしてくれていました。そんな感じで担任になる前から関わり自体はありました。いざ担任になってみると積極的に話しかけてくれて自分の悩みをすんなり話すことができて一年間楽に過ごせました。今でも彼の人に寄り添う姿は忘れられません。僕もそうなるために努力しようと思いました。ありがとうジーコ!
その8 たくあんさん
外部で去年の10月知り合った大学生の先輩です。今4年生。唯一四年の世代で俺がタメ口聞ける先輩。ポジションはリベロ。インターハイにも出場したことがある。知り合った当初はバレーしばらくやってなくて衰えてた感がすごかったけど。練習を重ねるごとにどんどん調子を取り戻してました。僕も昨シーズン一緒にプレーできていい刺激をもらいました。たくあんさんなしでは昨年の爆発的な進化はなかったと思います。来年から教員になるみたいですね。新しいステージで頑張ってください!


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