KYOTO STEAM 2022 国際アートコンペティション②-境界を捉える事への興味-
何も知らずにトークセッションの時間に居合わせた僕でしたが、もうこの時点ではすっかり前のめり。最前列でお話を伺いました。
最初にお話しされたのは今回のキュレーターであり、京セラ美術館の企画推進ディレクターの前田尚武さん。
学芸員かつ一級建築士の顔を持つ前田さんは、今回の展示会場である新館東山キューブの建築にも携わっていらっしゃる方なのでまず話された事は会場について。
「この会場、普通の美術館にあるけれどここにはないものがあるんですよ。何だと思いますか?」
「鑑賞エリアを区切る柵がないとかですか?」なんて僕は野暮な回答をしてしまったが、それは今回の展示の特性によるもの。
「答えはコンセントがないんです。
床をご覧になって下さい。コンセントを隠す設計になっているんです。
僕らは展示方法を考える時にこの作品がどうやったら一番美しく見えるかを考え
るんです。例えばこの作品は影の美しさが作品を構成する大事な要素になってい
る。ここにコンセントの影が入ってしまったら、この美しさが台無しです。
アーティストの方は皆さんこれを嫌がるんですが、コンセントが見えなくなって
いる美術館は中々ないんです。」
また会場の作りは高く薄い壁を並べる事で個々の作品に没入出来る空間を演出しつつ、常に複数の作品が目に入る様に開けた視野を確保している。これによって作品同士の繋がりも感じて欲しい、そんな願いが込められた空間でたっぷりと心地よい時間を過ごしました。
展示会場の細部までの拘りを知る事ができ、冒頭だけでも既に贅沢な時間です。
この日会場に来られていた出展作家さんの1人目は金森由晃さん。
金森さんは株式会社フジックスとコラボして、Pillar of lightという作品を製作しました。今回のヘッダー画像になっている作品です。
光沢性のあるキングスターという糸を600色使い、1本当たり1,000本強の糸からなる柱が9本、3ヶ月掛けて手作業で制作されたといいます。
「木漏れ日を見ているんだけど、そこに流れている時間を感じるという事があると思います。この作品でもただそこにあるものを感じていただきたい。この空間の空気の流れを感じて柱はゆっくりと回転する様になっている。すると9本の柱が重なり合ってその時々で違う顔を見せます。」
遠くから9本の柱として見ても美しいけれど、近づいて刻々と変わる色の重なり合いをただ眺めている時間も心地良いものでした。
2人目の作家さんは、佐藤壮馬さん。
KYOTO's 3D STUDIO株式会社とコラボしてOf flowersという作品を製作されました。テーマは3Dスキャナーによって得られたデータおよび3Dスキャナーに関する知見。
この作品は静止画では全く表せないもので、オブジェ、イメージ、印刷されたもの、音声、複合的な要素が一つの空間に共存している。
吊るされているのは、オブジェとして3Dプリンターで捉えた花
イメージとして、3Dプリンターで捉えた時の花の点群
天井から降りる紙の様なものは、印刷されたデータ
スピーカーから流れるのは、世界中の人が語る花を巡る記憶
印象的だったのは、佐藤さんのこんなお話し。
「何が捉えられていて、何が捉えられていないか、が僕の興味がある所です。
例えば花の手触り感は3Dスキャナーでは捉える事が出来ない。また花言葉の様
に文化的な意味も合わせ持っているけど、それもデータには現れない。
近年データとして文化財を残していく様な活動があるけれど、複製として捉えら
れるものもあれば、捉えられないものもある。」
僕が今回の鑑賞方法として、視覚だけでは取りこぼしてしまうものがあると気付かされたのがこの作品でした。
3組目は、山崎阿弥さん、マイケル・スミス-ウェルチュさん。Konelとコラボしてlost in the wind roseという作品を製作されました。
テーマは「TOU-ゆらぎかべ」に関する知見と技術。
この作品も到底静止画で伝えられるものではなくて、
光を用いたセンシング技術で鑑賞者の位置や動きを捉え、表面の羽が動くと共に、224個の電磁石と釘がカチカチと連鎖する様に鳴るというもの。またそれと同時に7分の1の確率で様々なパターンの動物の鳴き声が聞こえたり聞こえなかったりする。
この作品を捉える時に、山崎さんの表現がとても分かりやすかったのでご紹介します。
「夏に水田にいると蛙がたくさん鳴いている声が聞こえたりするけれど、自分が近づいたり、水田に入るとその音がピタッと止まったりする。それによって自分も相手も何かを感じ合っているという事が起こると思います。今鳴っているこの音も皆さんが近くにいるから出ているもので、この作品ではそういう事を感じていただけたらと思います。」
山崎さんは声のアーティストとしてエコロケーションを用いたパフォーマンスをされています。エコロケーションとは、コウモリが暗がりで視野がとれていなくても、自分が発した音波がどの様に跳ね返ってくるかによって獲物を捉えたり、障害物を避けたりするというものです。
「会場によって、出す声によって響き方が全く違うんです」
と実演していただいた。
「分かりますか?今出した音は天井に当たってフワッと降りてきた。
これはあそことあそことあそこに当たって返ってきました。
視覚的に空間を捉える事も出来るけれど、音で捉える事も出来るんです。」
そんな山崎さんが興味を持たれている事が、
「どこまでが自分でどこまでが自分でないか」という事。
この作品ではある人が作品の近くに立つ事によって、波動の様に影響していく。
どこまでが自分の影響が及んでいて、どこからは自分の影響は及んでいないのか。
「どこまでが自分でどこまでが自分でないか」を知りたい作者が、それは明確に出来ないという作品を製作している所が興味深いなと思いました。
佐藤さんの言う、
「何が捉えられていて、何が捉えられていないか」
山崎さんの言う、
「どこまでが自分でどこまでが自分でないか」
この2つの問いは、境界を捉えようとする姿勢が似ていると思います。
人工知能が人に置き換わるのではないか?と言われる世の中において、
テクノロジーによって表す事が出来る世界の限界を知る事によって、
人間の持つ力を再定義する事の意義を僕は感じました。
例えば、
データで表せないが、自分の身体でなら感じられる事が沢山ある事、
人間同士、人と自然はデータでは表せない波動を共有しながら、
お互いの存在を感じ合いながら共存している事
しかしこれはデータの便利さを覚えるとついつい忘れがちなのかもしれません。
分かりやすい指標にどうしても囚われてしまいがちになりますよね。
分かりやすい例では、
誰もがスマホを持つ様になった事で何かを体験することのハードルは下がったけれど、身体性は損なわれているかもしれない、という事、
いいねの数やフォロワー数が影響力の様に感じてしまっているけれど、本当の意味での影響力は違う所にあるのかもしれない、なんて考えるきっかけにもなると思います。
さて、だいぶ長くなってしまったのでこの辺で。
多様な鑑賞方法によって眠っている思考回路を呼び起こされた僕は、
物事の捉え方が拡張されるきっかけになった、
そんな素晴らしい展示会でした。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?