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自由の選択に悩む全ての人へ送る「LIGHT HOUSE」


必要とされていないと感じても
楽しく生きられる人になりたい

些細な一言で私なんかが一歩をまた踏み出そうとしてるのだから、未来ある若者にはもっと歩幅広めの一歩に繋がると思うんですよね。



私が星野源を知ったのは本当に運命的な出会いだったと今でも思うくらい、令和にも平成にも(当時は平成だった)似つかない出会い方だった。
当時二階堂ふみとOKAMOTO'sのハマオカモトがやっていたRock With Youというラジオを毎週radikoで聞いていた。
2人の共通の友達、というか同じ事務所のアーティストの類でSUNのリリース日ということもあり紹介されていたのが初めての出会いだった。
初めてSUNを聞いた時、音楽史も世界の流行も何も知らない私でさえど真ん中に突き刺さる新しい音楽で、初めてもう一度聴きたい。と思って聞き直したのを最近のようによく覚えている。


2015年当時の邦楽ヒットチャートは
SEKAI NO OWARI/Dragon Night
サカナクション/新宝島
ゲスの極み乙女/私以外私じゃないの
など、日本の中でも突出して邦楽らしさに新しい風が吹いてジャンルにとらわれないオルタナティブ的な音楽が市場に乗って受け入れられてきたり、ストリーミングの急成長で音楽の聴き方や好み、流行の知りかたなどに変化があった年で流行への食いつきのスピード感も急速に変化し始めていた。


そんな時代を生きていたからこそ、当時ミーハーかつオタク気質(これは今も)な私は聞き馴染みのあるブラックミュージックみを感じながらも低脳な私には到底言葉で表せなかった好きなジャンルへの既視感、頭から離れないイントロ、優しくも深く聞き心地のいい歌声に完全に心を奪われた私はその日から星野源の虜になっていた。



私がオードリーの若林正恭に興味を持ったのはわずか半年ほど前のこと。
きっかけは至ってシンプルで「どのチャンネルにもいるな」とふと感じたその瞬間からだった。
気づいた時からわけもなく多分この人天才側の人だ。と勝手に判断した私はやんわりと若林への興味を抱えてしまいテレビに出てると見てしまう。という好きな人を目で追っかけるような片思い状態的感覚に陥った。
そこからはもう全てがタイミングで、やんわりと若林って本とか出してないのかなー。となんとなく思っていた時、朝の情報番組ZIPで東大生が選ぶ人生を変えた一冊のランキング堂々一位が、若林正恭著書の"ナナメの夕暮れ"だったところをたまたま見ていてすぐさま買い、本を読み始めた頃に南海キャンディーズ 山里亮太とのコンビ"たりないふたり"を題材としたドラマ「だが、情熱はある」の放送が発表された。

まるで私が若林に興味を抱いたことが日テレにバレてるかのように次々と情報提供がされ続け、まんまと情報を受け取る私はもう運命のように感じるほど毎回怖いくらい最高のタイミングで若林の情報を得られていたのだ。



ここまでつらつらと2人との出会いを書いておいてなんなんだ、と思う気持ちもお察しします。すいません。


でも、逆に聞きたいんです。ここまでメディアが発達して情報が大量に、速達状態で溢れかえってる世の中でここまで鮮明にテレビの向こう側の人との出会いを覚えているだろうか。


印象に残る出会いにはどんな形であれ必ず意味があると思いたいし、私の中にずっと何かの人生の経験、得た知見として残っていて必ずターニングポイントで思い出されるし、何度も触れに戻るんです。


私は大勢の人を助けることは到底不可能で、助けるって言ってもできることだって限られるから少しでも自分と同じような人が何か心救われるような経験をシェアして助け合えたら、参考にしあえたら、みたいなざっくりした感じでたどり着いた発信が文章なので、今回は私がこの2人に心救われた経験をここに勝手に残したいと思います。


何年後かに読み返した私もまた改めて心救われたらいいな、と思って。



さて、ここからやっと本題です。

冒頭で書いた

"必要とされていないと感じても楽しく生きられる人になりたい"


これは、現在Netflixにて配信されている星野源と若林正恭の悩みをテーマにトークする対談バラエティ「LIGHT HOUSE」の#1で一行日記と称したある1ヶ月を通して感じたことを一行の日記で記すコーナーで星野源が言っていた言葉。

私がここにいる意味ってなんだろうか。
私が頑張る理由ってなんだろうか。

今が楽しくないと大体揃いも揃って通過すると思う自問自答の殿堂入りがこれではないでしょうか。

付随してくるのが
自分の好きなことや、やりたいことはやれているか。
そもそも自分の好きなことってなんだろうか。

最初に散々考えて決めたのは自分なのに、目的やゴールが霞むとこれですよね。自分のことなのに無責任な。自分のことくらい自分で責任持てや!と言いたいところですが自分の機嫌を取れるのも自分だけです。


そこ(ここには今皆さんが属してる環境を当てはめてね)(占いみたいだね)に存在する理由って、最初に決めたのは、自分がずっと持ち続けたい目標を達成する為なのに求められることも多い、でも結果は出していかないと認めてもらえない、とかなんとか自分を阻む邪魔者が出現すると目の前のことでいっぱいになって、自分が持ち続けたかった目標は愚か遠く彼方の片隅に残っていればまだいいものの、見失うのがほとんどですよね。それがまた仕事となるとより、そんなもんだと私は思います。

認められたいんです結局。必要とされたいんです。
自分の存在する意味を自分で確認できる何かが欲しいから。環境なんて慣れてしまえば割とどうでも良くなってしまうんです。
世に憚る社会の全ては1人1人の承認欲求でうまいこと転がされてるんです。そんなの苦しい!と。
でも私はこの組織の誰かに認められたくてここに存在したかったわけじゃないのに!と。


つい最近私もその殿堂入り自問自答を行ったのですが、結局自分のやりたいこと、好きなことをやる=自由になりたいなら責任を背負えよ、て。人並みよりも責任持って、魂固めろよ、てことだと思って。

それを改めて感じたきっかけが本題冒頭で話した「LIGHT HOUSE」でした。


偶然にも好きな2人がこのタイミングで対談バラエティをやるのも、私にとっては震えるくらいのタイミングで、またこの運命に突き動かされているのです。


だから未来に悩む若者に、今を疑問に、不満に感じて彷徨うみんなに送りたいんです。
「LIGHT HOUSE」を。


この2人だから経験してきた闇や嫉妬、超えてきた壁がきっと今の悩みを無化したり、場合によっては解決できるかも、て感じたから。

行きづまると未来が真っ暗になる感覚になる
表現を介して音楽でしか対話できないからそれができないと自分て必要あるのかな、て思う
ネタが浮かばない。これももう22年目
一つに絞れと言われてきたが、自分で手にしたこの二つをもうやるしかなかった

LIGHT HOUSE #1


トップクリエイターの2人でさえも同じ悩みにぶつかっては同じ感覚に陥ってるじゃん。て。

それでも2人がこれで続いてるのは、ここにははっきりくっきりとは出ないけど自由が伴う責任を背負っていることな気がします。

自分が選択してきた道を、開いてきた道を責任もって歩いてることなんじゃないかって思うんです。

挑戦とか好奇心旺盛にいろんなことに手出してみるのももちろん大事だし、これがないと何も始まらないけど、大事なのはその後でその挑戦=自由の選択の責任感があるかで、あれやりたいこれやりたいして飽きたらやめて。なんてほんの少しの経験で、語れるほどの経験に満たない無責任さより少しでも自分自身の先につながる経験だと思って責任もって選択するからこそ本来ならやめづらいはずで、やめられないくらいの闘志を持って選ぶべきなんじゃないかって思ったんです。


これは2人の話だけではなく夢を叶えた人たちやプロフェッショナルと呼ばれる方々に共通するのかな、と思います。

自分の自由はここまで背負って考えられてるか、て思ったら全然で、だから続かないしすぐやめられちゃうのも納得なんですよね。

まず言えることは責任もって選んだなら全力でやってみる。選ぶ時だってこのまま死んで自分の肩書きが今やってることになると思って選ぶこと。


可能性が広がりすぎてる今だからこそ、なんでもできるからこそ、その中で自分のやりたいこと、したいことをしっかり見極めて見返り求めずとも、がむしゃらになってできることを自分の未来の責任と変換して選んでいけたらどんな自分であれ満足できる結果に繋がる。
それが

"必要とされていないと感じても
楽しく生きられる人になりたい"

に少し繋がるのかな、て思ったりしました。

そんな簡単な話じゃないこともわかってるし、上手くいくことが100%保証されることでもないです。
全員が首を縦に振れる様な正当な話でもないです。
未来に悩める若者たちが、私みたいなやりたいことをやりたいと思う大人が、まだ選択のできる人たちがちょっとでも立ち止まって考えられるきっかけになれてたら嬉しいです。


そして今回書いた内容は、勝手ですがネタバレにならない様LIGHT HOUSEの1話目のみ厳選で書きました。1話だけでも痺れますが、全話2人のバックボーンを追いながら様々な背景から連想される2人の悩みについてたくさん語られていますので是非「LIGHT HOUSE」見てみてください。

君は若くて良いねなんて
知らねえよカスが
もし僕が明日死んだら
それが一生なんだ

LIGHT HOUSE #1 「灯台」




そんなこんなで、復活戦でした。
自己紹介にある通り、私は限界アパレルスタッフなので、コンスタントには上げられないかもですが結局私の自由の選択の中で責任負ってやりたいことは文章だったので時間を見つけながら継続を頑張ります。


また、忙しない中でもなんとかインプットを日常化して、更にアウトプットの場として多いに、自由にこの場をお借りできたらと思ってます。


もっといい文章が書ける様に。
好奇心ある人たちのきっかけになれる様に。
同じ悩みやストレスを抱える人たちに小指程度かもしれないけど手を差し伸べて、自分の小さな世界だけでも救える人になれる様に。
総括していい大人になれる様に。

end

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