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2020年2月26~29日までの日記

2020年2月26日 今日は朝の7:00に目が覚めました。

最近は深夜に目が覚めることなく、中途覚醒が少なくなってきています。

 昨年まではよく深夜に目が覚めて何度も起きたり、寝たりの繰り返しで熟睡感はなく、そのまま仕事に行っていました。なので15:00頃に眠たくなることが多く、ミスも自然と多くなっていました。それがまたプレッシャーとなり自分を追い込んで、よく徹夜で仕事をしたりしてました。

 眠らない日、いや眠れない日が続いて身体的にも精神的にも無理がきたのでしょう。初めのうちはうつ病という診断を受けて、治療を開始、通院しながら仕事をしていました。精神科領域を担当していた私でしたが、周りに病気であることを知れたくないという思いから、上司にだけうつ病であることを伝えていました。

 振り返ってみると早い段階で職場の皆にカミングアウトできていれば、もしかしたら少しは違う方向に向いていたのかもしれません。

 でも上司に報告していたからと言って仕事の配慮があったとはあまり感じなかったし、通常の業務を行っていました。

 上司からは「キツイときは言ってね。」と言われていたのでキツくなりだした頃相談しにいったら「そんなことではどこにいっても通用しない努力しないとダメ、人間関係をきちんと構築しないと。」と突き放されることが多くあり、あまり意味がありませんでした。

 家庭の状況もあったので中々、仕事を休むことが出来なくて、妻にも「仕事を辞めたい」と相談したこともありましたが「お金がかかる時期だからもうちょっと待って」と言われ1年2年と続き、結果として自殺未遂という形で精神科へ入院となり、職場との関係に距離を置くことができました。

 

 普通(普通ってなんだということは置いといて)精神科へ入院すると聞くと嫌なイメージがあるかと思いますが、私にとっては「これで休むことができる。」と涙ながらに安堵しました。私にとって死んで職場との距離を置く方法しか手がなく、それ以外の選択肢がない中で精神科に入院という形になれば、死ぬ以外の選択肢が増えることになり、私には救いの手でした。

 

 本当に苦しかったし、生きてはいるけど生きた心地はしませんでした。でも仕事では命の大切さを授業で教えていた。無理やり笑顔を作り冗談をいい、明るく元気でいようと必死でした。人に弱みをみせないように当時は必死でした。

 不安な教員から教えてもらっても学生にとっていい効果は得られないと思ったから、なので朝と夜、家路に着くとプレッシャーから解放されると同時に何度も吐く、下痢をする食事が通らないといった身体症状が出現してみるみる痩せてきてました。

 職場では無理に昼食を食べていました。もしくは仕事をして食べないといった行動をとってました。職場内でもパワーバランスが悪く同僚といいながらいつも雑用は私に回ってきていたので、ある意味丁度良く、昼食を食べずに仕事といって時間を費やしていたので良かったと言えば良かったかもしれません。

 昨年は2.3年ほどまともに昼食を食べてないし、昼休みを取ったことがありませんでした。何でも私に頼むので午前中精神科の授業があることを分かっていながら、午前の授業が終わってすぐに、「会議用の資料はまだ」と先輩教員が言ってくる、その資料をいつ作る時間があるのか?前もって言ってくれているのならできるが朝の朝礼後に頼まれた仕事だから物理的に不可能なはずなのに言ってくる、私は「できてません、すみません。」としかいいようがないので休憩時間を返上して作成することが日常化していた。

 まだまだ不条理なことは沢山あったが、その事を今言った所で過去に戻ることはできないし、改善できるほど私は強くはないので、同じことを繰り返すことになるかもしれないから、今をしっかりと受け止めて生きていくしかないと思っています。

 とにかく今は仕事を休むことが出来ているし、主治医も何も考えないでまずは心と体を休めることを優先させなさいと言ってくれているので今はそうしようと思う。

2020年2月27日

朝から慌ただしい、いつもは目覚ましを掛けることなく、自然に任せて起きているのだが、今日は出かける用事があり、自宅でゆっくりできるわけではないので、そそくさと用意して家を出る。

 現在は自宅療養中であるが、いつまでも自宅療養と言うことは出来ないので将来のためにも少し自分のスキルアップをしないといけないと常々思っていて

 今回、職業紹介責任者講習を受けることにした。何故この講習を選んでしまったのか、冷静に考えるとよく分からないのだが、友人からの勧めで独立を考えた時元手が少なく事業をするには職業紹介業が利益率が高いとどこかで見たのだろう、勢いで申し込んでしまった。

 お金も入金してしまったこともあり今更辞めますは勿体ないと思い受講することした。まあ資格を持っていても損はないと思うし、今はまでとは違う世界を見るのもいいかと思い行ってみることとした。

 受講場所へ行くとやはりスーツを着た人が多く、私は私服でいったので場違いな雰囲気が漂う中授業が始まった。

 授業の内容については公的な講習であると何度も講義の先生が言っており、講義の最後にはテストがあるのでどこまでが不正になるのか分からないので敢えて書くのはやめておくことにする。

 とにかく、今日の一日の締めとして講習受講証明書をもらうために久しぶりに、学生の頃を思い出して必死になって覚えた。講義自体もこれくらい知って当然のように進めていたし、分からなければ職場に戻って、書類等を確認して見てくださいという感じだったので職業紹介の仕事を全くしたことがない私にとっては専門用語が飛び交い、ついて行くのに必死だった。

 

 でも、全く知らない世界を知ることは新鮮で、少し楽しむことができた。

 午後に入り、講義の進め方など私が教壇に立って教えていた時のことなど思い出し、学生がどのような反応をして授業に興味を持ってくれるか工夫をしていたな、など関係ないことを考える位リラックスすることができた。

 講義も終盤に入りいよいよテストの時間が迫ってくる。中年だってドキドキはする。

落ちたらどうしよう、今日の時間を無駄に出来ないなど走馬灯のように駆け巡る。

 公的な講習だから講義の先生から言われ、机の上には筆記用具以外は禁止とし

何もない状態にして、国家試験と同じように配布しますと言われ、一人ずつテストを配る

合図と共に、テストを開始し、約30分程度のテストだった。

 8分程時間が余ったので見直しをしていると、何だか自分の答えた回答が間違っているような錯覚に陥る。しかし、答案用紙にはボールペンで書いたため、書き直しはできない。

特にえんぴつ、ボールペンなど指定はされていなかったが、何故書き直しのできないボールペンを選んでしまったのか、冷静に考えると馬鹿なことをしたなと思う。

 怪しい箇所はあったが大体はできた実感できたのでそのままテストを裏返し、回収の時間を待つ。

 

 テストの後からも講義の続きがあり、テスト結果が気掛かりでもう頭に授業が入ってこない。途中でテストをしたのは今日中に採点して受講証明書を渡すためだと後になってわかるのだが、ずっとドキドキしたまま、全講義が終了となる。

 テストの集計が終わり、番号で受講証明書を渡しますと言われ、今日の講義の主催者のスタッフが番号を読み上げる。

 「1番の方、3番の方」と聞こえてきた

ビックリした2番は?やっぱり落ちることもあるんだ、わぁ~怖い

 「4番の方、5番の方」

私は素早く5番の時に「はい。」と大きな声で言ってしまった。

それでも信用できなくて受講証明書を見て、私の名前が記載しているかすぐに確認

買いてあることがわかり、ほっと肩をなでおろす。

今日一番緊張した時でもあった。とにかく受かって良かったし、充実した一日になった

2020年2月28日

 昨日は変な夢で目が覚めた、教員を辞めて精神科病院で働いている夢だ。

何故だかわからないが、以前勤めていた精神科で働いている設定になっている。

でもそこには行かず遅刻をしているという設定だ。

 私の性格上、遅刻は有り得ない。約束の1,2時間前に行くことはあってもギリギリに行くなど私には度胸がないからだ、でも夢の中では遅刻すら余裕なのである。

 そこでは、「前の職場は嫌だけど、教員に戻ろうかな。」みたいな話を誰かとしている。それは誰だか分からない。とにかく変な夢で目が覚めた。

 私自身、今の仕事が辞めたくて辞めたくてしょうがなく、精神的にかなり追い込まれて

自殺未遂までしたのに教員に戻りたいなんて1ミリもないと思っていたが、学校という組織は嫌だし、同僚も嫌だし、上司も嫌だったけど生徒は嫌いではなかった。唯一それが救いでもあったが、逃げ出してしまった。

 私が学生時代教員が嫌いだったから自分が教員になったら優しくしたいしなろうと思ってた。いざ教員になってみると綺麗事では済まないことぐらい、この歳なんだから分かっていたつもりが全然理解していなかった。

 表面上では綺麗事ばかり言っているが、中ではかなりえぐいことを言っている。女性の世界はそうゆうものだとは思うが、表と裏が凄すぎる。私は甘すぎる、私は基本偽善者である。綺麗事にしたいという願望がある。いいことばかりを言いたいのだと思う。理想を追いかけないと現実ばかりに目を向けていると淀んでしまって前に進まなくなってしまうから。

 こうやってだらだら書いてはいるが、何も生産性はないし、説得力もない、何が言いたいのかまとまってもいない。日記にもなっていないことは分かっているが今は自分の素直な気持ちをただ綴りたいと思い書いています。

 あとで数か月、数年たった時、こんな気持ちだったんだなと分かるように変な着色を入れたり、綺麗な文章にしてしまうと、その時思った感情が現れない気がして。

 結局はこういった夢を見てしまうということは、心のどこかに未練があり、教員は二度としないといいながら、どこか教員をしたいという気持ちに、蓋をしてしまっている自分がいることを、夢という形で出してきたのではないかと私は思う。

 だからといって教員に今は戻るつもりはないが、少し時間が経ち心に余裕が持てるようになる日がくれば、もう一度教壇に立ってもいいかなと思える日が来ることを夢見ている

2020年2月29日

  今日は4年に1度のうるう年、だからといって何かをする予定はないが、今年は1日多い年になるという感覚だけある。ちなみに、うるう年の意味をネットで調べてみるとこう書いてあった。

ほぼ4年に1回やってくる「うるう年」。「うるう」とは漢字では「閏」と書き、「余り」を意味する。2020年の今年はうるう年なので1年が通常よりも1日多い366日あり、2月29日が存在する。なぜこの日が必要なのか、そしてうるう年がどのように決められてきたのかをたどってみたい。


ずれを補正する閏年の法則

現在のうるう年は、ローマ教皇グレゴリウス13世によって1582年に制定されたグレゴリオ暦に基づくもの。グレゴリオ暦は太陽暦なので、地球が太陽を一周するのにかかる時間を1年(太陽年)としている。しかし実際に一周する時間は約365.2422日なので、1年を単純に365日とすると4年で約1日(0.9688日)ずれが生じることになる。このずれを補正するために4年に1回、2月29日のうるう日が設けられている。

うるう年は、西暦の年数が4の数字で割り切れる年と決められている。近年では2020年、2016年、2012年がうるう年だった。このため、うるう年はオリンピックイヤーと重なっていると覚えている人も多いが、実は必ずしもそうではない。

その理由は、うるう年に設けられているひとつの例外にある。本来うるう日として補正されるべき時間のずれが0.9688日と1日にわずかに足りないため、その分が積み重なるとまたずれが生じてしまう。そこで例外を設け、400年に3回は4で割り切れる年でもうるう年ではない平年とするようになっている。これにより400年間にうるう年は97回あり、これを集計すると1年が平均365+97/400=365.2425と、実際の太陽年にかなり近い数値となる。つまり、うるう年がどのように決められているのかというと、· 西暦年数が4で割り切れる年· ただし例外として、西暦年数が100で割り切れて400で割り切れない場合には平年とするとなる。例えば、2020年は4で割り切れるからうるう年だが、2100年は100で割り切れるが400で割り切れないので平年となる。シドニーオリンピックが開催された2000年は、100でも400でも割り切れるからうるう年だった。

春分の日と連動するイースターの日

そもそもなぜ、ローマ教皇が暦を制定したのかということにさかのぼると、キリスト教の大事な祝祭日である「イースター」、イエス・キリストの復活を祝う日を、正しく決めることができなくなったためだと言われている。新約聖書において、イエス・キリストが十字架に掛けられたのはユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」の準備の日と書かれている。そしてそれから3日目に「キリストが復活した」とされている。ユダヤ教の過越の祭りは太陰太陽暦に基づいて計算される。これは旧約聖書の出エジプト記の故事に由来するもので、エジプトの奴隷であったイスラエルの民がモーセに率いられて脱出する際に神がエジプトに対して10の災いを下すが、10番目の災いが、戸口に印のある家を「過越し」て行き、印がない家にだけ災いが臨んだというものだ。

グレゴリオ暦が制定される前は、紀元前45年にユリウス・カエサルによって制定された太陽暦であるユリウス暦が使われていた。これは、4で割り切れる年をうるう年とする点はグレゴリオ暦と同じだったが、例外が設けられていなかった。このため、当初ユリウス暦で3月21日を春分の日とし、月の朔望(さくぼう)を考慮して春分直後の満月の日をキリストの復活日と決めていたのだが、16世紀にグレゴリオ暦に改暦された時点で、天文学上の春分の日から暦の上での春分の日が10日ほどずれてしまっていたという。

現在のグレゴリオ暦でも3000年近く経つと、ずれが蓄積して1日分の誤差が生じることになる。それでも、ユリウス暦が約128年で1日分の誤差を生じさせていたのに比べれば、だいぶ精度がよくなったと言えるだろう。

https://www.newssalt.com/31263(より引用)

 一昨日、内閣総理大臣の発表を受けて、私が住んでいる地域は小中高は3/2月曜日から3/24まで休校となることを昨日、市長が発表した。 

今年、新型コロナウイルス(COVID-19)にかなり影響されている。中学校の卒業式もどうなるかが分からない、一応する予定ではあるが今後どうなるか分からない。

 人生の節目でもあるので、やって欲しい気持ちと感染拡大を防ぐためには仕方ない事なのかもしれないという気持ちが交差する。

 子ども達の気持ちはどうなのだろうか?あまり感情をあらわにするタイプではないので、別にといった感じではあるが心情は分からない。

 まあ不登校でほとんど学校には中学1年生の頃から行ってないのであまり思い入れがないのかもしれない。

 あと春休みの前倒しなのか、そのまま春休みに突入するのかもよく分からない状態である。まだ小さい子供さんを抱えている家庭にとっては大変だと思う。今の時代、共働き世帯が多いと思われるし、親がいない時誰が見てくれるのかが突然過ぎて対応ができていないのが現状だと思う。突然でないと色々と反対意見が出てきて決断が遅れて全国に感染が広がり、医療資源の崩壊に繋がる可能性がある以上、この決断は良かったのか悪かったのかは時間が経ってみないと分からない部分ではあると思う。

 これから毎日子供たちが家にいるので少し買い出しに、出かけている内にレターパックで郵便物が届いていた、子供が出掛けている間受け取ってくれたのだろう。

 正直、何か頼んだか覚えていなくて開けてみると通信教育でカウンセリングの資格を取るべく必死にやっていたことを思い出し、無事に資格の合格認定証が届いていた。

 やっぱり、合格するとなるとなんにせよ気分はいい。努力が報われる瞬間だから純粋に嬉しく思う、ただこれからカウンセラーとして仕事をするかどうかは別だけど、勉強した事は何かの役に立つかも知れないので失くさず、大事に保管することにする。

履歴書にも書けると書いてあったし、これを見て雇ってくれるところもあるかも知れないから。Wで資格が取れて本当に良かった                       

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