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息子の中学受験 ついにその日がやって来た

 2月1日受験当日、麻布学園に8時に着く予定で6時に息子を起こして、当時住んでいたM市から1時間半かけて広尾駅まで行った。
 広尾駅の狭いホームには多くの受験生や保護者たちがいて、外に出ると10人くらいのN研バッグを背負った集団が前を歩いていた。近くに彼等の保護者の姿は見えない。
 学園までの坂道は、1列にならないとすれ違えないほど歩道の幅が狭い。
 息子が、このままずっとN研の後ろを歩くのは嫌だと言うので、A公園を通ることにした。
 野鳥が囀り朝靄に煙る有栖川公園に入り、池の鴨たちを眺めながら、つづら折りの石段を息子と2人で、『森林浴だね』と話しながら登った。私たち親子のほかには、公園内に受験生親子と思しき姿はなかった。学園前にある交番に到着したとき、まだ集合時間に余裕があったので、落ち着くために交番の裏手にある公衆トイレで、息子と交代で用を足した。
 交番前の通りは沢山の受験生や保護者や各塾の先生方が道狭しと歩いていた。息子の後をついて横断歩道を渡って校門前まで行くと、その先に各塾の先生方が列をなして待機していて、自分の塾の生徒たちひとりひとりに声掛けをしている。
 しばらくそれを見ていた息子が、突然『ここからはひとりで行く』と言い、さっさと中に入り、ゼミの先生から声を掛けられて、それに答えながら足早に中庭に消えた。
 幼稚園でイジメられ、家の玄関に入った途端プルプル肩を揺らして泣き出した幼子が、いつの間にかしっかりと意思を持った男の子に育っていた。
 試験時間は午前と午後に別れていて、弁当必携になっている。
 母は受験日の弁当は「カツサンド」と決めていたが、前日におじいちゃんが徘徊して夜8時に戻って来たというバタバタでカツ用の豚を買いそびれ、残念ながら「タマゴサンド」と「ハムチーズサンド」になってしまった。

 同行した保護者たちのほとんどは、同じ塾のお母さんたちと近くに出かけたり、いったん帰宅したりしたようだが、私はとりあえず保護者の待機場所に指定された講堂の地下にある視聴覚室で時間をつぶしていた。
 昼休憩になって、講堂地下でトイレ待ちをしているときに前に並んでいる初対面のお母さんと気が合い、一緒にヒルズでバリ料理のランチを食べながら、中学受験の情報交換をして学校に戻ると、すでに終了した3教科の問題が、校門を入ってすぐの掲示板に貼り出されていた。

「国語」:九州弁らしき言葉の登場人物と干し柿にまつわる小説
「社会」:農家やサラリーマンの労働に関する記事
「理科」:日本科学未来館に題材を得た問題

 最後の教科は息子が一番不得手な算数だったが、昨夜長崎のばあちゃんから送られてきた干し柿を食べた事と、電話でばあちゃんから『食べんね』と言われていたことが頭に浮かび、この時点で息子は合格すると予感した。
 しかも、長崎の実家は農家で、息子は幼い頃からじいちゃんばあちゃんと一緒に畑に出てミカン畑の手伝いをしていた。
 そして、日本科学未来館は、3年前に開館した時から何度も遊びに行き、閉館のアナウンスが流れるまでアルバイトの大学生のお兄ちゃんたちと話し込んで遊んでもらっていた、大のお気に入りの場所だった。
 A公園の近くは息子の父方のおばあちゃんが生まれ育った場所でもあったし、母の意図しない所で息子の行く学校が決められていた気がした。

 もう16年も前のことだが、息子に『試験問題を覚えているか』と聞くと、『国語は長崎弁だったことだけ覚えてるよ』と答えた。実際にそれが長崎弁だったかどうかは不明だが、息子にとって九州弁は幼い頃から慣れ親しんだ言葉だったので、とっかかりとしてかなり有利だったと思う。
 かくして息子の第一志望の受験は終了し、あとは3日の合格発表を待ちながら、落ちた時用にW中の後期受験をするのみとなった。

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