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どうも今が、人生で1番性格良さそうだ

昔が悪女だったというわけじゃありません。過去もいまも、驚くほどに良い子ちゃん街道まっしぐら。ずーっと突っ走ってます。

何だろな、穏やかになった。おおらかとも言うか。大雑把に磨きがかかったもOKかな。きっとどれもが正解です。周りからみて、扱いやすく転がしやすい人物に仕上がったんじゃないでしょうか。知らんけど。あくまで自分評価。noteなのをいいことに、ぬけぬけと言ってます。

されど自分の実感として、生きやすくなったのは確か。数年前から社会的なこと(働いてる所、ライフスタイル、趣味や好きなもの)は何ら変わってません。日々それなりに色々あるんだけど、月日を重ねるごとに、心にかかる負担は変わってきてる。ネチャネチャへばりつくような、底の見えないしんどさを感じることが減りました。

そりゃね、ときたまはありますよ。現在とて同じ角度からみてるから、やっぱ察知しちゃう。でも自ら進んで沼地へ行かないような。かつてを振り返ると思います。被害妄想をし過ぎたがゆえに、「仮想沼地」へハマってた。ドボンと潜り込んでたなあ。

ドロっとした感情を抱えてたら、どうなると思いますか。人によるんだろうけど、わたしの場合は「もっとくれ。私を満たして。こんな私にちょうだいよ」て、クレクレ星人になってました。これがまたね、分かりやすく言わないで、察して欲しかったりするんですよね。変にプライドを持ってました。言わぬが花と信じてたのです。

でもって、大体はもらえないでしょ。そしたらどうなるか。スネてこじらせます。マジでややこしいし、めんどい展開この上ない。

そんなグッチャグッチャの性分も、全部わたしなんだから。もうええ、全て来い。腹をくくれたんですよね。ある日突然にじゃなく、ほんの少しずつで受け止めていって。あきらめず、ちょっとずつ歩んでました。

わたしから見た周りでしかないけど、以前よりくつろいでるように映ります。なんなら前は、わたしの前に来たら、ピリッと緊張してるようにも思えたなあ。

実はすごいイヤでした。決してわたしは強い人じゃない、でも厳しいところはあるかもしれない。相手にその姿を鏡写ししてるようで、苦虫を噛み潰すように感じてました。

素敵であろうとするより、ダメっぽいところを認め、しゃーないよねとする方が、性格が丸くなり、器が大きくなる。結果、自分以外の人にも反映されてった。不思議な現象です。何より本人が生きやすい。

どうも今が、人生で1番性格良さそうだ。ひとりニンマリしてる今夜です。

では また

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