そうか。わたしはこのスタイルで書いてて良いんだ。心底よろこんでる夜
思春期くらいから、深く悩んでたことがあって。どうしてこんなに感情へ振り回されんだろう。ほとほとしんどく、そんな自分が大嫌いでした。
わたしは感情がたっぷりあります。ポジティブもネガティブも、メーターいっぱいに振り切れるほど感じてしまう。その種類にはいろいろありますが、一番の取り扱い注意は、不平・不満です。隠せないんだよ、コイツたち。
イヤだなーと心の中で思っても、表面上は「…はい」て引き受けたとします。すでに思ってることが顔にありありと出ちゃってる。すると相手を怒らせるんですよね。
子どもの頃だと「そんな態度なんやったら、もうええ」て母からよく叱責されて。わたしは、「こっちは『はい』て引き受けてんだから、そっちこそ何言ってんのさー」て静かに反撃のファイトを燃やす。そんな展開が待ち受けてました。
いま思えば自分じゃなく相手へ、イライラの燻りを解消してもらってた。ようやく分かります。
まあそんな感じで、溢るる不満心の対処法が見当たらないまま大人となり、なんやかんやと生きてきました。そして文章を書くことと出会いました。
こんなわたしが書いたものはどんなだったか。読んだ人に「分かって欲しい」が満載でした。もちろん反応は乏しく、むしろ逆風みたいな反響にあったのです。
どうしてよ。こんな分かりやすい言葉で書いてて、描写も丁寧なのに、なんで伝わんないのさ。わたしは憤慨です。
でも、そうですよね。読んでて心地いいものではなかった。読んでる人とてそんな暇じゃない。知らんがなの世界。冷静に考えれば思い当たるけど、当時は全く気づかなかったんだー。
さて、ここ数ヶ月で特に、思いもよらぬお声を頂くことが増えました。わたしの書くスタイルを好きだと言って下さったり、ときには「こんな風に書いてみたい」なんてご意見も。
えええー!!! とっても驚きました。だって誰にも見向きもされず、かつては無風だったんだよ。不平・不満もやっぱし今とて書き連ねてるけど、ホンマにええんですか?目がまん丸です。
しかし、そんな戸惑いをも吹き飛ばす、プルプル震える喜びが、心の奥から上書きするように湧き出てきて。うわぁーん、書いてて良かったよー。書き続けた自分をこれほど誇りに思えたことはありません。むちゃくちゃ嬉しかった。
たぶん分岐点となったのは、自分の感情を己でしっかり受け止めるようになったから。受け止めるとは何か。自分の中に現れた得体の知れない感情エネルギーみたいなものを体感したり、言葉にしたりして、自分で理解しようとすること。
え?そんなの当たり前にやってるよ。あなたは思ったかもしれません。ええ、そうなんだろうな。そうだと思います。でもね、恥ずかしいけど、わたしはちぃともしてなかったんです。
されど、ここで主張したい。悪いことばっかじゃないんですよ。
おかげでわたしは書くハードルが低い。何でもかんでも分かってもらおうとする分、「そんなことも書けるの?!」て領域へもヒョイと足を踏み入れられる。お気づきのように、このくらい無自覚で、無理なくしてます。
ザル仕様だったわたしの受け皿は、おちょこサイズへアップしました。相変わらず感情に振り回されるものの、過去に比べりゃ余裕があると申しましょうか。楽しんでるとこもあります。あんなに大嫌いだった自分を、全て好きに塗り替えたとは言えませんが、愛しく思えるようにもなってきました。
そんな自分の心の移り変わりが、書いてる文章へ現れてきたのかなーなんて。いまは喜びをいっぱい味わってます。
では また
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