わたし、欠けてたっていいよ。お互い様で育んでこう
自尊心てコレか。いや、むしろ私の主成分だ。はたと気づきました。
キッカケは、虎に翼のワンシーンから。主人公の寅ちゃんは弁護士さんになったのに全く思うようにいかず、うなだれ、傷ついてたんです。
寅ちゃんの思いを言うと、「こんなにも努力をしたのに、やっと手に入れたはずなのに。ちっとも世間は認めない、社会は受け入れてくれない。むしろダメだと突きつけるような現実ばかり。一体どうしろって言うんだ」。
多分にわたしの思いも乗っけた代弁です。何かが上手く行かない時ほど、心の中で大暴れするように騒ぎ立ててくる。世の中ではこの状態を「自尊心が傷つく、えぐられる」と表現するんですね。
言葉の意味を理解してなかっただけで、実は人生でもっとも体感してることでした。
ぬけぬけと本音を言います。わたしはやった分だけの見返りが欲しい。だっていっぱい頑張ってる。見合うものよ、返ってこい。はなから期待して、こっちはやってんだ。戻ってこないなんてそんなバカな話あるか。心底思っちゃう。
これがもし人間相手なら、相手を気づかった分だけの感謝が欲しい。ほっとした気持ち、温かくなる思いを共有し、わたしは役に立つと実感したい。そんな欲望を持ちあわせてます。
なんでこんな醜き思いをさらけ出したか。この後の話で必要なので、思い切って書きました。顔が見えないって何でも書ける。威力あるわー。(話は戻ります)
本日ヨガ哲学を学びました。わたしが反応しちゃうところは、自分が欠けてると感じてるからなんだ教わって。どういうことかと言うと。
例えば先ほどの感謝で説明です。なんで感謝じゃなく、むしろ望んでもない反応(そっけない返事、無関心、拒否など)が返ってくるんだ。わたしは傷ついたぞー。そんなことがあったとします。
なぜ傷つくのか。そもそも自分で足りてないと思ってるから。足りてないと思ってるから、相手からの反応を合わせ持って、自分を満たそうと狙ってた。それがまさかの傷つけられるなんて、足りないところからなお奪うような行動じゃないか。許すまじ、腹立つ。そういう構図だそうです。
ここから導かれる結論は、「誰かによって満たされるではなく、自分で満たしとこう」。おっしゃる通り、問題解決なんだろな。思う、思うんだけど。
でも、モヤっとしちゃった。え?まだわたしが頑張るのって。もう嫌やねん。もうしんどい。自分磨きとおさらばしたい。ほとほと疲れるように、自分から言葉がこぼれてきて。
相手や世界へ、過剰な期待を寄せてしまうのは、わたしの至らないところかもしれない。でもそれでいこうよ。欠けたままでいたとていいよ。その道を探ろうよ。望んじゃった。
先日、迷惑についての見方が変わったという記事を書きました。
そのあとまるさんのコチラの記事を読んで。思ったことがあります。
自分で全てを満たすとは、完璧で、自己完結を目指すあり方。もうええって。お互い様でやってこうよ。凸凹してたっていい。欠けてるとこがあっていい。互いに補い合いながら、育んでいきたい。わたしは願うように思いました。
ただ、なんでも相手のせいにしないよう、欠けてるとこは予め自分で認めておこうかなって。きっと、わたしの凶暴化を止めてくれるはず。
自尊心の塊で、もう頑張るだけを答えにしたくないと思った、わたしが出した結論でした。
では また
参考にした図書
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