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母からの便り 後編

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わたしの期待へ呼応するように、花を咲かせたと感じた。たかだか花なのだが、とても嬉しかった。
なんにも良いことがない。絶望一色だったわたしへ、喜びをくれた。

よし。この花を育てようと決めた。
ただ問題があった。わたしは植物を育てるのが下手だ。小学生の頃なぜか朝顔を枯らしたこともある。

植物を育てるのが上手なお隣さんへ、ピンポーンと呼び鈴を鳴らしてお願いした。
「この花を育てたいです。育て方を教えてください」


お隣さんは快く、優しく教えてくださった。いわく、丈夫な植物なので育てやすい。手をさほどかけずとも育つ植物である。話を聞くほど、わたし向きの花だと思った。
で、肝心な花の名前は何でしょう? と尋ねた。
伺った名前を検索してみた。違う花の画像が現れた。花の名前はお預けとなった。

お隣さんがおっしゃる通り、育てやすい花だった。花が咲いた翌年、わたしは小さな鉢から、二回りくらい大き目の鉢へ植えなおした。根付き、すくすくと育っていった。翌年も前年に上回る花を咲かせた。

ならば、もっと大きな鉢へ植え替えよう。時期をみて、わたしはプランターへ植え直した。一瞬だが葉っぱがしおしおとする時期もあり、やってしまったと慌てた。再びお隣さんへピンポーンと相談へ走り、事なきを得た。


花の名前は相変わらず不明のまま。花の写真から名前が分かるアプリがあるのではないかと、ふと閃いた。アプリはあった。ようやく花の名前が分かった。

花の名前は、「サフランモドキ」。やはり育てやすい花のようだ。花言葉をみて驚いた。「便りがある」。わたしの勝手な妄想だったが、やっぱりそうか、そうだったかと深く感じ入った。

今年はプランターいっぱいにピンク色の花が咲き誇った。これでもかと言わんばかりのピンクだ。今年の花は、わたしへ何を伝えようとしているのだろう。


わたしからは、花に向かって「ありがとう」と伝えたい。月並みのありふれた言葉だが、ぎゅっと詰まっている想いがある。苦しみも、悲しみも、わたしの中にいまもある。そんなわたし全てを包むように、喜びをもたらしてくれた。涙が止まらない。

母はすぐムキになる人だった。大人げない。わたしはよく思った。でもムキになるとは、向きになるとも同じ。わたしと向き合っていたのだ。

わたしのピンチとみるや、駆け付けた。どんな姿となろうとも、死んじゃいたいと親不孝をのたまう娘であろうとも。とにもかくにも、母はやってきた。


わたしはよく叱られた。それだけ母はいつも本気だったのだ。
いまなら分かる。取るものもとらず、母はいつだってやってきた。今回もやってきた。そんな気がしてならない。摩訶不思議なのだけれど、そう思えるのだ。


悪条件が揃ってたとて、全て分かった上で、自分の大切にしたいものを育み、慈しむ。
花を通して、母からの惜しみない愛がいつも、いつとて届けられている。
母の生前はごく当たり前と思っていて、母の愛に気づけていなかった。
母という目に見えるカタチが無くなってはじめて、母からわたしへ、ずーっと愛があったことに気づかされた。

いつの日か。わたしも母と同じように、自分の大事にしたいものを持ちたい。愛することを心からやり遂げたい。わたしの心が震えている。温かく、心地がいい。やっぱり涙は止まらない。

母さん、ありがとう。



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