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ギブ(与える)とは

人の役に立ちたい。そう思えない自分が嫌だった。いつも自分のことばかり考えてしまい、僕はなんて自分優先なのだろうと思った。それはきっと、周りのギバー(人を喜ばせる人)と比べてしまい、人に与える量が、僕は圧倒的に少ないんじゃないかと悲観していたのである。

しかし、最近になって、意外とそんなことないんじゃないかとも思うようになった。僕自身、GIVEとは、お金を使って与えることだと思っていた。お金を使ってプレゼントを買ったり、お金を使って奢ってあげたり、お金が軸にギバーは成り立つと思っていた。しかし、ある時、素敵な言葉をかけることも、街に落ちているゴミを拾うことも、立派なギブだと気づいた。素敵な言葉をかけれているかは分からないが、相手の心がフワッと軽くなる言葉をかけてあげたいし、ゴミを拾える時は拾うようにしている。そして、これらをギブだと認識した途端、僕の心は軽くなった。

ギブは一方通行であってはならない。受け取ったら与えなきゃいけないし、受け取らなくても与えなきゃいけない。このお互い様の精神が素敵な人間関係を構築する。

そして、言葉だけは、今すぐに、お金をかけず、誰にでもできる素敵なギブだ。相手の考えや価値観が理解できなくても、そこには必ず素敵なポイントがある。そこを見つけてあげる。理解できないからと否定するのではなく、その考えだからこそのメリットを見つけ、素敵な言葉を与える。

考えも、生き方も、正解はない。というより、僕に正解は分からない。間違えて、失敗ばかりしている僕が、偉そうに正解を押し付けることはできない。

また、他者を傷つけず、自分の意見を伝える方法はあるし、正解を押し付けるのではなく、自分はこう思うなと感想を伝えたらいいだけなのである。言葉のギブは、何を言うかも大事だが、どう伝えるかがもっと大事だ。だから、相手を傷つけるのではなく、相手に伝わる言葉を、自分の意見として送ってあげよう。

自分の好きなことで、自分のやりたいことで、誰かの役に立てたらいいなとずっと思っている。絵を描くことも、文章を描くことも、誰かの役に立てているのだろうか。まだその実感は全くといっていいほどない。しかし、親友や、職場の店主に絵をプレゼントすると、とても喜んでくれた記憶だけはある。きっとその積み重ねなんだろうな。

受け身として、誰か喜んでくれたらいいなではなく、自ら、与えにいく姿勢が僕には足りない。与えにいくには、相手が望むものを把握する能力がいる。相手が何を欲しがっているのか、何が好きなのか、どんな絵を送ったら喜んでくれるのか、どんな言葉を必要としているのか、考える必要がある。絵を送っても邪魔だと思われるかもしれない。それでも絵を送りたいと思う人はいて、それが親友と店主だった。言葉選びも難しい。素敵な言葉を、素敵な考えを、頭の中に記憶する必要がある。そのための読書でもある。

そして、今ふと浮かんだのは、周りの素敵なギバー達は与えることに躊躇がないことだ。こんなものを渡していいのだろうかと考える隙もなく与えたり、相手が困っている様子を見た途端、すぐさま駆けつけている。コーヒーをプレゼントするときも、ブラックで飲めなかったら、後からミルクでも砂糖でも入れて甘くしてあげたらいい。それでも飲めなければ、「じゃあ代わりに頂きます」とニコッと笑って自分で飲んで、また今度オレンジジュースでもあげたらいい。あげたものが誰かの重荷になるなどと深く考えなくてもいいし、もし心配なら、「必要なければ遠慮なく捨ててね」と声をかけたらいい。気遣いの一言でなんとでもなる。

困っている人を見て駆けつけた時も、仮にお力になれなかったとしても、助けようとしたという姿勢が相手には必ず伝わる。離れ際には、「また何かあったらいつでも声をかけてください」と伝えて、胸を張って帰ればいい。最高にカッコいいではないか。そんなカッコいい人達が僕の周りにはいるんだから、僕は学びたい放題だ。

文章を書くことは楽しい。さっきまで思いもしなかった考えが浮かび上がり、書くことでスッキリし、自分の悩みが、自分が書いた文章で解決する。文章を書いていると、こんなことが平気で起こる。書くことに割く時間は、自分と向き合う時間であり、自分と向き合うことは、自分の悩みと向き合うことでもある。

もちろんそれだけではないが、人は誰しも悩みを抱えており、書いていること全て自分に向けたものなのではないかとすら思う。誰かに向けた言葉も、回り回って自分に返ってくる。誰かに伝えているようで、実は、自分に言い聞かせていることだったり、自分を癒す言葉を書いているだけだったりする。

それは僕も同じ。偉そうに言ってることも、自分がそう信じたいだけで、自分を励ます言葉なのだ。考えも、価値観も変わりゆくもの。しかし、何年、何十年経っても変わらないものもあるだろう。間違いは素直に認め、信じるものは信じ、そうして僕たちは成長していく。

僕の人生はどうなるのだろうか。不安と期待と、半分半分で人生を進めていく。この二つのバランスは、日々の行動で変わる。期待を膨らませる行動をとれば、不安は減るし、何もしなければ不安ばかりが募っていく。絵を描くだけで、文章を描くだけで、珈琲豆を焙煎するだけで、この先なんとかなるんじゃないかと思える。そんな期待に変わる行動を、これからも取り続けていこう。不安も絶望も悪いことばかりではない。そう思わないとやってられない。ほんの少しの不安と、ほんの少しの絶望が、人生に彩りを与えてくれる。後は全て、期待に変えていこうではないか。毎日の積み重ねだね。今日も寝て、明日に備えよう。明日も一歩、期待に変わる行動を。ではまた。

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