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新皇平将門誕生の地

齢41
男性大厄本厄真っ只中の筆者です←

そんな筆者24歳の時の厄祓い
確か佐野厄除け大師でした

で、今回はと言うと
39歳の時から今年まで付き合ってた彼女さんの地元にある関東最古の八幡宮

大宝八幡宮

にて2年連続で厄除に行って参りました

後厄来年どうしよう…(小声)
※4月末に破局←

当初何の情報もなく
古い神社くらいしか言われておらず
何処だそこ?って思いながら着いた先が

ななな…古い
では言い切れない歴史ある八幡宮ではないですか:(;゙゚'ω゚'):
これには驚いた…

大宝元年(701年)、藤原時忠公が筑紫(つくし)の宇佐神宮を勧請創建したのがはじまりです。天台宗の古い経文の奥書に「治承三年(1179年)己亥七月二十二日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」とあるため、平安末期にはすでに八幡信仰が盛行していたことがわかります。平将門公も戦勝祈願のために度々参拝し、当宮の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられています。
「吾妻鏡(あづまかがみ)」に下妻宮(しもつまのみや)としるされ、文治五年(1189年)、奥州征伐平定の日、源頼朝公が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し摂社若宮八幡宮を創建されました。
公式より抜粋

https://www.daiho.or.jp/index.html

とてもとても由緒ある

そして伝説の地という…

そう、関東の覇者に登り詰めた
#平将門 公が新皇となった場所なのです!

日本三大怨霊とも言われる将門公ですが
歴史とは常に勝者が書き換えるもの

敗者として西側からは朝敵とされる将門公も、実際当時の中央政権である京都から遥か離れた関東の地

当時は飛行機も新幹線もない訳で、
当日にヒョイッと移動出来る距離ではない

やはり西と比べると
後に徳川家康公が江戸に幕府を拓くまで
東国は只の辺境の地

その中での圧政に対するグーデーターだった訳で※かなり筆者の主観が交じりますのでご注意※、茨城南部、千葉北西部においては本当のヒーローだったんじゃないかと思います!

実際筆者の祖先は江戸の利根川河川工事で転封となった旧武田家臣団に属し、千葉県我孫子市にその後定住するのですが、その地では今も将門信仰が残り、ライバルの藤原秀郷公を嫌い、成田山新勝寺には参拝しない風習があるそうです。

即ち、(妄想含む)13代前まで家系図を遡り
その中で地元の出身者と婚姻している訳で、筆者にも限りなく薄くでも将門公の血が混じっているのではないだろうか?
0.0000003%くらい←

そんな筆者が大宝八幡宮に訪れたのは

きっと必然←

何て想いながら厄祓いしていた事は
当時の彼女さん知らないだろなw

ともあれ待合室には
上皇陛下が在位中にいらした際の写真と
虎の置物がドーーーン!
中々インパクトが有りました:(;゙゚'ω゚'):

そして歴史を感じる古社のこの雰囲気
豪華絢爛さは無いもののどこか奥ゆかしさを感じさせる上品な雰囲気が有りました

因みに母方の田舎がこの下妻の地の隣
関城になるのですが、そこは敵対していた藤原秀郷側の領土なんですよねー(棒)

うちの父と母が離婚したのも
相反するDNAがそうさせたのかななんて考えてしまう厨二病全開な歴ヲタが筆者です←

そして筆者と弟は
最強将門公×最強秀郷公のDNA両方を受け継ぐハイブリッド型( ・`ω・´)キリッ

いや、だから不安定なのかしら…

そして今後
この将門公にどっぷりハマっていく筆者が先に予告します!

都内における将門七星を辿った事も追々書いて行きます!

乞うご期待!

それでは

大宝八幡宮
〒304-0022 茨城県下妻市大宝667
0296-44-3756
https://goo.gl/maps/gnoDf627ov1BEigc9


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