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肉付け王選手権

■おはようございます。ただいま朝の6時35分。時間の有効利用というか、この時間だと普段は布団の中で起きてたり起きてなかったりするんだけど、今度いずれにせよどこかに引っ越したら今より朝は早く動き出さなきゃいけなくなるのはほぼ確定なので早起きの練習も兼ねて。あとこの1000文字を夜に残しておくと他に色々やることがあったりした時眠るのが遅くなってしまい辛いので、だったら朝にやることやってしまう習慣をつけてしまおうという魂胆もあります。

 この文章は今ワードに書いていて、書きあがったらそれをGmailで自分に送って、iPhoneのnoteのアプリに貼り付けて必要なら少し手を加えて投稿、という形でやってるんだけど、投稿のサムネイルを選ぶときに今まではnoteのアプリの方にあった絵画の中からなんとなく選んでて、まぁそれはそれで面白いんだけど、せっかくだから自分で描いた絵を写真に撮ってサムネイルにすればいいじゃんと思いとりあえず手元にあったメモ帳とシャーペンで描いている。僕は基本的に絵は描いてこなかった人間なのでもう全然落書きなんだけど、昨日なんとなく小学校の頃から好きだった「いない生き物を描く」をやったら、ペンを走らせている時「自立しそうな体のバランスで描かなくちゃならない」という無意識が働いて、自然と重心のバランスが取れるような方向で肉付けしながら作り上げていっている自分、という不思議な感覚を発見した。この感覚は一体、どう評価すべきなのだろうか?

 どう評価すべきかというのはつまり、「絵なんだから別に自然法則に従っていなくたっていいじゃん」という考え方は当然可能なわけで、ある意味これは西洋的な考え方というかこれはシュルレアリスムということなのかもしれないのだが、確かにそういう考え方はできるわけです。一方で、例えば鳥山明の描いた絵のように、「絵とは言えど、自然な現象の描写ができていなければ全体としての流れがおかしくなる」というようなある種東洋的自然とも言える考え方もできるわけで、きっとこれはこう、西洋的自我のない描き方と言えるかもしれない。シュルレアリスムは非自然を楽しむ道、後者は、自然に従う道、そう言えるかもしれないですね。たまには、自分が今どちらの立ち位置に傾いて絵を描いているのかというのを意識してみたら面白いかもしれない。

 描いていて思ったが、音楽にもそういうものはあると言えるかもしれない。音楽におけるシュルレアリスムとは?BPMが揺れるとか?コードの進行が理論に従ってない、とか?それは言えそうですね。ちゃんと考えてみたら面白いかもしれない。今はもう時間がきてしまったので、ここまでにします。ありがとうございました。

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