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そこにラブの兆しがあるなら行け

■うわあぶねー。寝てた。全然記憶ないな。晩御飯を外で済ませて会計終わらせたところまでは覚えてるがその後が全く記憶がない。家についてハリネズミ触ってたところは覚えてる。でもそれ以外は覚えてないぞ。どうやって帰ってきたかも覚えてない。いや、思い出しつつある。「俺が泥棒だったらこの家に入るのはメチャ簡単だと思う」みたいなことを話しながら歩いてた気がする。

 芸術家はあらゆる種類の自己欺瞞と戦わなくてはならないと僕は考える。やるかやらないかであればやらなければ話にならないが、その上さらに「やってるから大丈夫」すら超えなくてはならない。「僕はこういう人間だからこれでいい」さえもを超越しなければならない。何がなんでも自己の存在性そのものに揺さぶりをかけることができなければ深みになど至れないと僕は思ってしまう。僕はそう思ってしまうのです。これはこれで罪深いなとも思う。「お前はなんなん?」という問いかけにすら安易に反応してはいけない領域があってこれはつまり、人に理解されてはいけない魂の領域が存在するということに近いのかもしれない。

 だがしかし一方で常にこの問いかけは自分自身に対して有効でもある。「お前はなんなん?」この問いかけに対しては各々の返答の仕方がある。突き詰める必要がある。答えにならない答え、「逆にお前はなんなん?」を提示する方法を、各自考えてください。それが芸術家の仕事ですから。その上さらに、生き延びてください。それも芸術家の仕事ですから。

 なんて偉そうなことを言えるのか?俺は。お前はどうなんだ。俺はお前なのか?お前は俺なのか?どうなんだ。お前だけの普遍的な真実を提出しているか?していないなら、今すぐに提出の準備を始めて、なんでもいいから形を取れ。どこにでも孤独はあるぞ。それと向き合え。今すぐに。芸術家じゃなくてもいい。生き伸びろ。生きることは素晴らしい。そこには全ての可能性があるから。

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