望楼丸

国共内戦から日中戦争における中共軍に関心があります。 ここには、学術論文や専門書水準の…

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国共内戦から日中戦争における中共軍に関心があります。 ここには、学術論文や専門書水準の記事はありません。 見つけたこと、気付いたことをメモランダムのように書いていきます。

最近の記事

【近接戦闘】証言紹介ー文革期の近接戦闘重視

文革期の中共軍を訪問した方の証言を見つけた。 出典:山田慶児『未来への問い 中国の試み』筑摩書房、1968年。 証言紹介訪問先:「陸軍第一九六師団」 駐屯場所:「北京と天津のあいだ」 この師団の前身は日中戦争下で作られたゲリラ部隊であり、これが発展してゆき、国共内戦中に師団となったようだ。朝鮮戦争にも参戦している。 歴史ある精鋭部隊だと思われ、海外からの視察者(証言者)を招いている点からも考えると、当時の中共軍における模範的部隊だと思われる。 師団内部に簡易的な修理工場

    • 【近接戦闘】証言紹介ー中共軍の突撃戦法

      NHK戦争証言アーカイブズに興味深い証言があったので紹介する。 百団大戦における証言のなかに、中共軍の突撃戦法と思われる個所を発見した。 証言者は中共軍の戦法について「やたらめったら突っ込んでくるだけ」としつつも、「それが油断すると怖い」と一定の脅威であったことを認めている。 中共軍は巧妙な戦闘をするもの、という印象があるが、「粗野」とも思える突撃戦法がとられることもあったようだ。 管見の限りでも、以下の1件を確認している。 証言紹介証言者:S・Tさん 所属部隊:独混4

      • 【中共の統治】中共の派閥について(根拠地・野戦軍ごとの派閥形成)

        中共の派閥には、根拠地・野戦軍ごとに形成されたものがあったらしい(李昊『派閥の中国政治』名古屋大学出版会、2023年)。 根拠地・野戦軍ごとの派閥形成中共の各根拠地が隔離されていたことに起因し、根拠地単位で派閥形成がなされることがあったらしい(前掲書18-19項)。 根拠地の軍事組織は分解されることなく、そのままのかたちで人民解放軍に編入されたという。 また、内戦期の野戦軍は、派閥の基礎として注目されているようだ(前掲書19項)。 たとえば、鄧小平(第二野戦軍出身者を重用

        • 【中共の統治】支配地域での反乱・鎮圧1ー建国直後の武装反乱

          中共の支配地域では、いくつかの反乱が発生していたようである。 たとえば、以下のような事例を確認した。 ・富田事件(時期:第一次国共内戦、反乱勢力:「AB団」) ・通化事件(時期:第二次国共内戦、反乱勢力:日本人勢力) 第二次天安門事件(1989年)の反乱・鎮圧は注目されることが多いが、これは上述の事件の延長線上にとらえる必要があるのではないだろうか。 (たとえば、鄧小平は上記の全期間を通じて中共幹部だった) ここでは、建国後に発生したとされる武装反乱について紹介する。

        【近接戦闘】証言紹介ー文革期の近接戦闘重視

        • 【近接戦闘】証言紹介ー中共軍の突撃戦法

        • 【中共の統治】中共の派閥について(根拠地・野戦軍ごとの派閥形成)

        • 【中共の統治】支配地域での反乱・鎮圧1ー建国直後の武装反乱

          【毛沢東戦略】中共軍の侵攻作戦7ー建国後の渡洋侵攻構想

          山口信治『毛沢東の強国化戦略1949-1976』(慶応義塾大学出版会、2021年)には、毛沢東が提唱した敵国への渡洋侵攻構想が紹介されている。 積極防御によって敵国の侵略を破砕するだけでなく、海上戦力によって敵国に侵攻し、敵の国家自体を崩壊させる計画のようである。 ここでは、当該計画について検討する。 毛沢東の渡洋侵攻計画毛沢東は1955年に、将来的には「積極防御」だけでなく「戦略的反攻と戦略的追撃」も実施することを提唱し、そのために海上戦力の強化を主張した(前掲書10

          【毛沢東戦略】中共軍の侵攻作戦7ー建国後の渡洋侵攻構想

          【中国戦線のBC兵器】地上部隊支援に使用された投下弾

          「戦争責任研究」最終号の松野論文には興味深い史料(C04123681100)が紹介されています。 ここでは、この史料について述べます。 史料について「関東軍防疫給水部」の実用試験依頼で、支那派遣軍が「試製三〇瓩投下爆弾(特殊)」(※)を約200発試用。 この結果、「地上作戦直接協力」において「人馬殺傷力極メテ著大」だったため、追加で計800発の支給を要請。 「受領時期」は「至急」とあり、現地軍は早急に本投下弾を欲していたことがわかる。 ※なお、本史料では投下弾の名称を「九

          【中国戦線のBC兵器】地上部隊支援に使用された投下弾

          【毛沢東戦略】中共軍の侵攻作戦6ー蒋介石の侵攻戦略

          ここでは、中共の敵である蒋介石の戦略について検討する。 彼の軍事戦略の1つに、「地方政権が軍事侵攻を行い、中国全土を制覇する」という考えがあるように思われる。 そして、中共も同様の考えを持っていたように思われる。 おそらく、当時の中国を見るうえで、「地方政権」「軍事侵攻」の2つは重要なキーワードだと思われる。 また、これと対照的なものとして、ロシアを挙げている。 蒋介石の侵攻戦略まず、中共の敵である蒋介石の戦略について検討する。 彼の軍事戦略の1つに、「地方政権が軍事侵攻

          【毛沢東戦略】中共軍の侵攻作戦6ー蒋介石の侵攻戦略

          【毛沢東戦略】中共軍の侵攻作戦5ー書かれなかった侵攻戦略

          毛沢東「中国革命戦争の戦略問題」は、1936年12月頃に執筆された。 本論文では、国民党軍の包囲攻撃に対する中共軍の防御戦略について重点が置かれている。 しかし、一見したところ、この論文には「侵攻」に関する記述が見当たらない(※)。 国民党軍との戦争に勝利するためには、敵の攻撃からの防御だけでは不十分であり、敵支配地域に軍事侵攻し、敵中枢地域を占領する必要があるだろう。 こういった「侵攻」戦略について、記述されていないようなのだ。 これは、執筆時期と関連があるように思わ

          【毛沢東戦略】中共軍の侵攻作戦5ー書かれなかった侵攻戦略

          【毛沢東戦略】中共軍の侵攻作戦4ー第二次国共内戦における反攻

          毛沢東「解放戦争第二年目の戦略方針」(1947年9月1日)では、中共軍に反攻に転ずることを指示している。 「主力をもって外線に進出し、戦争を国民党地域」にもちこむ(187項)のだという。 「解放戦争第二年目の戦略方針」は侵攻作戦について毛沢東が言及した珍しい論文だと思われるため、注目すべきである。 なかでも注目したいのは、「国民党地域に新たな根拠地をつくる」(187項)ように指示している点だ。 また、「勝利をおさめる鍵」として、「大衆獲得の政策をだんこ実行して、広範な大衆

          【毛沢東戦略】中共軍の侵攻作戦4ー第二次国共内戦における反攻

          【毛沢東戦略】数的優位と兵力集中5ー人海戦術の原因について

          過去に書いた関連記事を紹介する。 これらは、「人海戦術」の原因の1つに兵力集中を挙げたものである。

          【毛沢東戦略】数的優位と兵力集中5ー人海戦術の原因について

          【毛沢東戦略】数的優位と兵力集中4ー第二次国共内戦の初戦

          毛沢東は、第二次国共内戦が本格開始した三か月を振り返って、以下のように述べている。 内戦本格化の初戦において、兵力集中と各個撃破が勝因であったようである。 また、ここでも極端な兵力優勢(少なくとも三倍)を主張している点に注目したい。

          【毛沢東戦略】数的優位と兵力集中4ー第二次国共内戦の初戦

          【毛沢東戦略】中共軍の損害2-「井岡山の闘争」

          毛沢東は、「井岡山の闘争」において次のように述べている。 銃の損失よりも、兵の損失が圧倒的に多いのだという。 中共軍は慢性的に極端な兵器不足であったことで知られている。 それでも、兵員損耗の方が深刻な問題だというのだ。 また、銃の損失が少ないのは、おそらく徒手兵の活躍によるものだろう。

          【毛沢東戦略】中共軍の損害2-「井岡山の闘争」

          捕虜活用の重視ー人的損害が大きかった?(第二次国共内戦)

          以前、第一次国共内戦において、毛沢東が捕虜活用に限界を感じていたことを述べた。 しかし、第二次国共内戦において、これと反するような言及があった。 志願兵は一部のみとし、捕虜を主体として補充を行うようである。 戦闘における人的損害が大きく、支配地域からの志願兵だけでは補充できなかったのではないだろうか。 そのため、大量に獲得できる捕虜の活用を推奨したのではないだろうか。

          捕虜活用の重視ー人的損害が大きかった?(第二次国共内戦)

          【毛沢東戦略】砲兵と工兵(爆薬)に自信ー第二次国共内戦の後半

          毛沢東は、第二次国共内戦の後半において、砲兵と工兵(爆薬)に大きな自信を持っていたようである。 結論毛沢東は1948年の年末ごろ、砲兵と工兵(爆薬)について2回も言及している。 毛沢東が具体的な兵器名に言及するのは珍しいため、この時期の毛沢東はこれらの兵器にかなりの自信を持っていたと思われる。 砲兵・工兵は、航空機・戦車を圧倒する? 毛沢東は、優勢な砲兵・工兵は敵の航空機・戦車を圧倒すると主張した。 以下に示すように、これらの記述は1948年の年末に書かれたものである。

          【毛沢東戦略】砲兵と工兵(爆薬)に自信ー第二次国共内戦の後半

          【近接戦闘】第二次国共内戦における毛沢東の言及

          第二次国共内戦時、毛沢東は以下のように述べている。 管見の限り、毛沢東が三大戦闘技術(銃剣、射撃、手榴弾)に言及した唯一の事例である。 この記述は、毛沢東語録にも掲載されており、以下の記事で紹介したことがある。

          【近接戦闘】第二次国共内戦における毛沢東の言及

          【毛沢東戦略】中共軍の損害1-第二次国共内戦初頭の戦闘

          本記事では、第二次国共内戦初頭の戦闘における中共軍の損害を検討する。 毛沢東の記述毛沢東は、第二次国共内戦が本格開始した三か月を振り返って、以下のように述べている。 検討ここで述べたいのは、以下の2点である。 (1)ほとんど損害を受けずに敵に勝利したのではなく、一定の損害を受けながらの勝利であったこと。 (2)戦闘における国民党軍死傷者は、中共軍の死傷者と同数程度ではないか。 「殲滅」には、敵を捕虜にすることも含まれている。 また、国民党軍は士気が低く、多数の捕虜を

          【毛沢東戦略】中共軍の損害1-第二次国共内戦初頭の戦闘