望楼丸

国共内戦~日中戦争における中共軍に関心があります。 ここには、学術論文や専門書水準の記…

望楼丸

国共内戦~日中戦争における中共軍に関心があります。 ここには、学術論文や専門書水準の記事はありません。 見つけたこと、気付いたことをメモランダムのように書いていきます。

最近の記事

中共軍の砲兵25ーこれまでの擲弾筒・小銃擲弾の記事

これまでの擲弾筒・小銃擲弾の記事をここにまとめておいた。 国府軍の「擲弾銃」衝陽の攻略戦において、国府軍が「擲弾銃」を使用したという日本側証言がある(※)。 ※防衛庁防衛研修所戦史部『戦史叢書016巻 一号作戦<2> 湖南の会戦』朝雲新聞社、259項。 この戦闘については、以下の記事で詳述している。 中共軍中共軍の擲弾について書いた記事である。 中共軍から見た日本軍擲弾筒ついて検討した。 番外編:キューバ革命キューバ革命で使用された小銃擲弾類似の兵器について書いて記

    • 中共軍の砲兵24ー小銃擲弾(中共軍の独自開発??)

      『中国抗战 : 晋察冀根据地抗日影像』(以下、中共軍写真集)をみると、小銃擲弾を保有した中共兵が確認できた。 ここでは、中共軍写真集をもちいて、中共軍の小銃擲弾について検討する。 小銃擲弾の外見太く、短い外見をしている。 外部に構造物は無いようであり、ただの筒のような単純な外見だ。 以下に記すように、4つの写真に写っているのが確認できたが、いずれも同じような外見のため、これらは同形式だと思われる。 ネットで調べてみると、中国政府軍には「28式」という小銃擲弾があったよう

      • 華北日本軍の鉄道交通17ー鉄道車輌(博物館で実物を見た感想)

        先日、京都鉄道博物館を訪れた。 いくつかの蒸気機関車を観察することができたので、実物を見た感想を書きたい。 9600形・8620形9600形(「9633」)を見た。  以前確認したように、本形式の車両は華北に送られている(※1)。 9600形は、蒸気ドーム・煙突などの上部構造物が低くて「ぺったんこ」な形状をしているのが、かなり目立つ。 遠距離から見ても、「あっ9600形だ」とすぐに気づいた。 サイズとしては、9600形はD51と比較してかなり小さいように感じた。 また

        • 【近接戦闘】作品で描かれた手榴弾戦法

          ここでは、映画・アニメで描写された手榴弾戦法について確認したい。 中国アニメ「那年那兔那些事儿」の番外編(朝鮮戦争)第2話では、冒頭(1分あたり)で柄付手榴弾を大量に投擲して米軍を攻撃するシーンがある。 また、中国映画「長津湖」(邦題「1950 鋼の第7中隊」)においても、指揮官の笛の合図で柄付手榴弾(複数を集束したもの)を大量に投擲するシーンがある(1時間32分あたり)。 この映画では、主人公の少年(中隊長の兄弟)は手榴弾投擲が得意という設定のようだ(たとえば1時間23

        中共軍の砲兵25ーこれまでの擲弾筒・小銃擲弾の記事

        マガジン

        • 中共軍の砲兵
          32本
        • 攻城戦・対戦車戦闘
          7本
        • 華北日本軍の鉄道交通
          17本
        • 近接戦闘
          58本
        • 毛沢東戦略(中共軍の軍事戦略)
          51本
        • 中共軍の後方体制
          11本

        記事

          中共軍の後方体制11ーこれまでの記事

          中共軍の後方体制については、これまでにも言及済みである。 ここでは、過去の記事を振り返ってみたい。 (1)後方体制について、ざっくりと言及した記事である。 (2)重厚な兵站体制が必要となる侵攻作戦について言及した記事。 (3)兵士による物資の運搬について言及。 (4)第一次国共内戦期には、兵站担当者を養成すると思われる教育機関があった。

          中共軍の後方体制11ーこれまでの記事

          中共軍の後方体制10ー兵站の政治的解決??

          兵站の政治的解決これまで見たように、中共は軍の兵站能力がきわめて低い。 しかし、日本軍や国民党軍との戦いでは、中共軍はきわめて優勢に戦ったのは事実である。 これは、兵站を政治化していたためだと思われる。 つまり、兵站の問題は政治的に解決されたものと思われる。 「兵站」とは、部隊に物資を供給、兵員を補充、医療サービスを提供することであろう。 中共軍が中共支配地域にいる限りでは、これらは現地で提供されるものだろう。 支配地域から大部隊が離れて長期間行動するのでなければ、兵

          中共軍の後方体制10ー兵站の政治的解決??

          日本軍の戦法57ー師団司令部・軍司令部・各部の法規

          ここでは、師団司令部・軍司令部・各部の法規を確認したい。 文献情報まずは、法規の閲覧方法を確認したい。 公表されているものであれば、『官報』を確認すればよいだろう。 NDLであれば、以下のものがあり、デジタル公開されている。 しかし、官報では、軍事関連だけを確認するには不便であり、公表されていないものは官報には掲載されていないだろう。 そこで、軍部が作成した資料集をもちいたい。 本記事では、以下の史料をもちいる。 師団司令部令・軍司令部令ここでは、師団司令部・軍司令部

          日本軍の戦法57ー師団司令部・軍司令部・各部の法規

          【毛沢東戦略】壊れやすい兵器(鹵獲戦略)

          中共軍は、兵器の獲得経路を鹵獲に依存したことで知られる。 しかし、鹵獲戦略には、兵器の手入れの観点から困難が多かったと思われる。 当時の兵器は適切な手入れをしなければ使用不能となったようである。 この手入れにおいては、「油」が必要となったようだ。 しかし、当時の中共軍は十分な油を保有していないと思われるため、十分な手入れが実施できず、せっかく鹵獲できた兵器も使用不能としてしまうことが多かったのではないだろうか。 小銃の事例日本軍の小銃は錆びやすかったようだ(※1、168

          【毛沢東戦略】壊れやすい兵器(鹵獲戦略)

          日本軍の戦法56ー司令部の機能は命令文作成?(命令文の作成・承認過程)

          本記事では、師団・軍・方面軍の司令部を構成する参謀部(?)・各部(経理部、兵器部、獣医部など)の主な役割を推測する。 おそらく、命令文の作成と、命令文の作成に必要な情報の収集が主な役割だったと思われる。 また、師団命令の作成・承認過程も確認した。 各部で作られた命令文は、参謀部(?)の承認を得たのち、師団長の承認で完成となったようだ。 主任務??:命令文の作成(起案)と情報収集師団・軍・方面軍の司令部を構成する参謀部(?)・各部(経理部、兵器部、獣医部など)の主な役割は、

          日本軍の戦法56ー司令部の機能は命令文作成?(命令文の作成・承認過程)

          経済・金融4ー中共と法律

          ここでは、中共と法律について検討したい。 建国以前から中共は独自の貨幣を発行しており、それなりの金融政策を実施していたとみられる。 しかし、少なくとも「法」という点においては、あまり重視しておらず、極めてアバウトだったものと推測できる。 法律を軽視する毛沢東毛沢東は、建国後の憲法について「わたしは覚えていない」と発言し、法ではなく会議を重視する旨の発言をしている(石川、211項)。 国家のトップがこのような認識であるというのは、現在の西側的価値観では理解不能の境地ではある

          経済・金融4ー中共と法律

          中共軍の後方体制9ー長征時の第一方面軍(馬はいない??)

          ブラウン(130-132項)では、長征開始時の第一方面軍の兵員・小銃・機関銃などの数が記載されている。 ここでは、砲兵・通信・医療部隊などについても述べられている。 ここのブラウンの記述には、軍馬については書かれていない。 もちろん、乗馬などで若干数の馬を保有していたようではある(たとえばブラウン226-227項)。 しかし、それほど多数の馬は保有していなかったのではないだろうか。 馬を主力とする兵站部隊があれば、ここに記載があると思われる。 現にブラウン(131項)では

          中共軍の後方体制9ー長征時の第一方面軍(馬はいない??)

          終戦前の中共航空18ー航空教育(新疆、広東)

          新疆における航空教育は、平松茂雄『中国と朝鮮戦争』(勁草書房)の「中国空軍の歴史」(117項~)に詳しい。 ここで教育を受けた将兵は、第二次国共内戦における東北航空学校(元日本陸軍将兵が関与したことで知られる)にも参加しているようだ。 また、同書の「補論」(139項~)も重要である。 ここによれば、第一次国共合作時には「広東航空学校」、日中戦争期に「新疆航空学校」があったという。 また、同書に関しては、以下の記事でも言及しているので、参照されたい。

          終戦前の中共航空18ー航空教育(新疆、広東)

          中共軍の砲兵23ー新疆における新兵営の技術教育

          ここでは、新疆における新兵営の技術教育について検討する。 注目したいのは以下の点である。 (1)教育を受けたのは、第四方面軍の将兵であること (2)教育内容はソ連式である可能性が高いこと (3)延安の教育機関に継承されたこと (4)機械化部隊・航空隊・砲兵の教育が実施されたこと なお、砲兵教育についてはよく分からなかった。 新兵営と砲兵隊(総司令部付き砲兵連隊、延安砲兵学校)との関係を確認するのは今後の課題である。 新疆の第四方面軍本章では、平松(119‐120項)をも

          中共軍の砲兵23ー新疆における新兵営の技術教育

          中共軍の後方体制8ー中共軍の馬

          大戦終結まで中共軍は鉄道を運用していなかった可能性が高く、鉄道の欠如は兵站線の維持に困難を生じさせていた可能性が高い(※1)。 鉄道がないならば、馬はどうだったのだろうか。 輓馬・駄馬は、日本軍では必要不可欠だったはずだ。 しかし、馬は「そのへんにいる」のではなく、馬を繁殖させたり、馬具・輜重車を生産する必要があるだろう。 中共軍には騎馬隊が存在したことは確認できている(※2)。 しかし、この騎馬隊は極めて少数だったのではないだろうか。 兵站には多数の馬が必要であり、少

          中共軍の後方体制8ー中共軍の馬

          中共軍の後方体制7ー中共の鉄道

          ここでは、中共軍の鉄道について検討する。 大戦終結まで、中共軍は鉄道を運用しなかったと思われる。 そのため、兵站に大きな問題が生じていた可能性がある。 鉄道なき中共軍の兵站線日本軍の兵站教範「兵站綱要」によれば、兵站線では可能な限り鉄道を活用することが推奨されていた(※1)。 このことは、当時の日本軍兵站の鉄道への依存ぶりを示しているといえる。 逆に言えば、鉄道を保有しなかった中共軍にとって、兵站線の維持は困難だっただろう。 中共軍の鉄道(大戦終結後)私の知るの限りで

          中共軍の後方体制7ー中共の鉄道

          【近接戦闘】中国軍の手榴弾戦法はWW1ドイツ軍由来??

          大戦期の中国軍(国府軍、中共軍)は、多数の手榴弾を投擲する戦法をもちいていた。 これは、これまでの記事で確認してきたとおりである。 このような手榴弾戦法は、WW1のドイツ軍(突撃部隊)に由来するのではないだろうか。 この記事ではざっと述べてみたが、さらに調べる必要がある。 ドイツ人顧問・柄付き手榴弾第一次国共内戦期、国府軍にはゼークトらのドイツ人顧問がいたことはよく知られている。 また、国共両軍でよく使用されていた手榴弾は柄付き手榴弾であり、これはドイツ軍の手榴弾に類似し

          【近接戦闘】中国軍の手榴弾戦法はWW1ドイツ軍由来??