もらった呪いの言葉と、あなたにあげたチョコレート
嫌いになった訳ではない相手と別れた。
真悟とは、今思えばママゴトのような幼い恋愛だった。
初めての相手だったから「好き」のコントロールが出来ずにいた。
だからふたりで堕ちていったのであろう。
なんとか温かい沼から這い出せたと思ったら、また次の沼にはまっていた。しかも、今度は最初から急激に堕ちていった。それは温もりのかけらもない、冷たい沼だった。
どうしてこんなに好きになるまで止められなかったのだろう。
夢中になってしまった相手が、よりにもよって妻子持ちだなんて。いけないのは解っていた。
会うたび何度も、これで最後、これで最後。自分と約束した。
でもダメだった。
会えない夜、寂しさに耐えきれずつい訊いてしまう。
「今度、いつ会える?」
真悟と別れたあとの夏の間、私は冷房の効き過ぎた部屋でずっとタオルケットを抱えたまま、うじうじとして過ごした。
9月になり、やっとまともな就職先に就こうと動き出し、みつけたのが中古車販売店での事務職だった。
彼、近藤篤(こんどうあつし)は、その中古車販売店の支店長で就職の際の面接官でもあった。
もう少しで19歳になる私と、44歳の彼。両親とほぼ変わらぬ歳。私は大人の色気と優しさに一発でやられてしまった。
近藤とは、私が20歳を過ぎたバレンタインデーまでの約1年半の間、関係が続いた。会うのは大概が金曜日の仕事終わり。車の普通免許証を取得した私の、近藤がかなり値引いてくれたベージュ色の軽自動車に一緒に乗って、ホテルに直行というのがお決まりのパターンだった。
近藤との逢瀬を重ねていく内に、彼の優しさが本物でない事くらい私でも気付いた。でも、関係を壊すことができなかった。
読み返してみたら恥ずかしいけど、こんな日記も書いていた。
「きっと君は、これから他の男と寝る度に、僕の事を思い出すだろう」
あのひとが最後に残した私への呪いの言葉。
確かに効き目はあった。
しかし、あのひとから別れを切り出したクセに、どうしてこんな仕打ちをするのだろう。
〈もう終わりにしよう〉
昨晩、私が送ったいつものメールの返信には、彼からの別れを告げる言葉があった。
私は朝になってもベッドから起きあがれず、仕事を休んだ。
そのまま一日ベッドで泣きながら過ごし、日付が変わる頃、彼にメールした。
〈わかった。それじゃあ仕事も辞めるね! でも最後にもう一度だけあなたに会いたい〉
2月14日、仕事が終わったあと、彼は私の部屋に来た。
「これで最後だっていうのに悪いんだけど、そう長くは居られない」
わかってる。バレンタインの日なんかに遅く帰ったりしたら、奥さんに疑われちゃうもんね。
そして直ぐに彼は私の服を、剥ぎ取るように脱がせていった。
「んっ、どうしたらこんなところに傷をつくれるんだ?」
私の左足の太股に貼ってある絆創膏を剥がしながら、彼は訊いた。
昨晩、自分でカッターナイフを使ってつけた傷だ。
私はその質問には答えずに、彼の顔をその傷口に押しつけた。
「そこ、舐めて」
彼の舌が私の太股の傷口から陰部へと這ってゆく。献身的に私を悦ばせようとする彼の姿がたまらなく愛おしい。
これで最後だと思うと感情が昂り、堪えきれず声が出た。苦しく喘ぐ声は、やがて自分でも泣き声と判別がつかなくなった。
「中へ出して大丈夫だから」
嘘。
一番安全ではない日。
彼との子供が欲しかった。
彼と逢えなくなっても寂しくならないように。
私の中で射精したあと、少しの間をおいて彼は服を着た。
「ごめん。悪いけどもう帰るよ。今までありがとな」
そう言うと彼は鞄を持って玄関に向かおうとした。
酷い男だと思った。私はまだ、陰部から流れ出てくる彼の精液を拭きとっているところなのに。
「ちょっと待って」
私は急いで下着を身につけると、キッチンへと走った。
「はい、これ」
わたしは昨日用意しておいた手作りのチョコレートを彼に持たせた。
「今日で最後なのに変だけど。ちょうど今日、バレンタインだから」彼は少し戸惑ったような顔をしながらも、無理矢理つくった笑顔をわたしに見せた。
「サンキュ。貰ってくよ。じゃあ」
じゃあ、また。とはもちろん続くことはなかった。
彼が出たあと、玄関の鍵を閉める。
わたしはそのまま玄関に座りこんでしまった。
大丈夫。
これでわたしの体内に、彼との新しい命が宿るはずだから。
絶対、彼のように愛するひとを裏切るような育て方はしない。
大丈夫。
わたしは彼の中でも生きてゆくのだから。
あのチョコレートの中に混ぜ込んだわたしの血液は、彼の体内に吸収され、彼と共に生き続けるのだ。
絶対にわたしのことを忘れさせない。
あの時の私は相当に病んでいた。
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