◆不確かな約束◆しめじ編 第6章 中 ユキとハナコ


ここ帯広の夏はとても過ごしやすい。東京のじめじめした不快な暑さはなく、気温は20度を少し超えるくらいで、湿度も高くない。まるで10月の秋のような気候だ。

タイキ君は、相変わらずぶっきらぼうな話し方だったが、段々といろんな事を話し掛けてくれるようになってきた。

大学が夏の休暇期間に入ったある日、

「明日、お前 夕方から暇か?」と突然訊かれた。

「えっ まあ 夕方からなら特に予定はありませんけど」

「だったら、ばん馬 見に行くべ。ほら、勉強にもなるし、帯広と言ったらばんえい競馬っしょ」

タイキ君とふたりっきりでというのは、ちょっと気が重かったけど、ばんえい競馬には前から行ってみたいと思っていた。

「はい。まあ いいですよ」

「まあ いいですよって。なんでお前は上からみたいな言い方するかな。そこはお願いしますでしょ」

「それはすみませんでした。是非、お願いします。ってこれで宜しいでしょうか師匠」

「チッ ほんと可愛いげがない言い方するなぁ。じゃっ 明日4時に迎えに行くわ」

「どうぞ宜しくお願い致します。師匠」

「お前、バカにしてるっしょ。師匠はやめろって」

「申し訳ありません。師匠」

「こいつ腹立つわ」

こんな感じでちょっとふざけながらも、ふたりでばんえい競馬を見に行く事に決まった。


◆◆◆◆◆◆◆◆

次の日の夕方、タイキ君が軽トラで迎えに来た。

「想像はしてましたけど、やっぱりこの車なんですね」

「なんでお前はすぐ、そんな言い方するのかなぁ。他に誰も乗せる訳じゃないから、お前ごときにはこの車で充分。迎えに来てやってんのに文句なんかないっしょ。デートでもあるまいし」

「それはそうですね。デートだなんて言われてたら、私ことわりますもん」

「チッ まったく」

そして私達は、おんぼろ軽トラで、ばんえい競馬場へと向かった。


始めて見る、ばんえい競馬は迫力があった。もともと農耕馬だった、ばん馬は大きな馬で1トンを超える場合もあるそうだ。その馬達が200メートルの障害のある直線コースを、重りを乗せた鉄ソリを曳いて走る。その力強さに、一瞬にして虜になってしまった。また、その迫力のある力強さと対象的に、たてがみを編み込んでいたり、髪飾りや小さな帽子をつけている様子が可愛らしかった。


「今日は連れてきてくれてありがとう。とっても楽しかった」

「おっ 素直にお礼なんか言っちゃってカワイイところもあるじゃんか。そうか、楽しめたか。なら良かった。お前、次から馬の世話もしてみるか⁉」

「えっ 本当ですか。嬉しい。是非、やらせてください」

「おう、お前には難しいとは思うけど、そろそろ覚えてもらわないとこっちも大変だからな」


帰り道、空を見上げると星がとても綺麗だった。東京では遠慮がちに見えた星達が、ここではまるで、どれだけ光り輝けるかを競い合っているかのように各々の星が自己主張していた。ずっと星空を眺めていると、その圧倒的な神秘さに、そして途方もなく吸い込まれそうな宇宙の底のなさに、怖さも感じた。

寮までの道をタイキ君は、無言で車を走らせてくれた。心地よい揺れに、私は知らぬ間に寝てしまっていた。



◆◆◆◆◆◆◆◆

次に牧場へ行った日から、タイキ君は約束通り、私にも馬の世話の仕方を教えてくれた。私がお世話することになったのは、牝馬のハナコ。5歳の栗色の毛をした、比較的おとなしい馬だった。しかし、なかなか私には心を許してくれなかった。ブラシを掛けるのでさえ、嫌がられてしまった。ハナコは不安からなのか、タイキ君の方ばかり、しきりに何かを訴えるような眼で見ていた。

「ホッホッホ ユキちゃん今度は、ハナコの世話係になったのかね。でも、まだ仲良くとはいっていないようじゃな。きっとハナコはユキちゃんに焼きもちを妬いているのかもしれないね。ハナコはタイキの事を大好きだから。まあ気長にこのコとも心を通わせるようにする事じゃな。ホッホッホ げほっげほっ」

と、お祖父さんはまた、羊の時と同じアドバイスをくれた。

「それから、タイキの事はだいぶ調教できてきたようじゃな。その調子でこれからも頼むよ」

「えーっ そんな事ありませんよ。私がタイキ君の事を調教だなんて。いっつもタイキ君に叱られてばっかりなんだから」

「そうかい? タイキの方がユキちゃんのペースに合わせてきているように見えるがのー。まあ良い。とにかく仲良くしてあげてくれ。ホッホッホッホ」

〈変なこと言うお祖父さん。アイツが私に合わせてるわけなんてないのに〉



◆◆◆◆◆◆◆◆

ハナコのお世話を頼まれてから1ヶ月半後、まだハナコはあまり私の言う事をきいてくれなかった。

その日も、ハナコを引いて歩かせようとしたが、ハナコが動こうとしなかったので、少し踏ん張って引っぱろうとした瞬間、左足が窪みにはまり、足を捻ってしまった。私が地面にしゃがみこみ痛がっていると、ハナコが心配そうに顔を擦り付けてきた。そして、私の前に屈んだ状態で腰を落として待っている。

「えっ 乗せてくれるの?」私がそう訊くと、ハナコは頷くようにゆっくりと瞬きをした。右足を庇いながら、恐る恐るハナコの背中に跨がってみると、ハナコはそっと立ち上がり、私をタイキ君の所まで運んでくれた。

「おっ どうした。急に仲良くなれたのか⁉」

タイキ君の言葉は無視して、私は気をつけながらハナコの背中から降りると、ハナコにお礼を言いながら頭を撫でた。

タイキ君が言うように、その日から私とハナコは急激に仲良くなれた。

この牧場では、希望するお客さんを馬に乗せて、柵の中を2周してお金をいただくサービスもしていた。その練習の為に、私もハナコの背中に乗った。

「おい、かかとで馬の横腹を蹴って合図して、少し走らせてみろよ」

タイキ君が大きな声でそう叫んできた。

私は大きく頷くと、手綱をしっかりと握り、ハナコに合図を送った。

ハナコはゆっくりと走り出し、段々スピードを上げて行った。最初はしがみつくのに精一杯だったが、ハナコの走る揺れとリズムを合わせると、上手く乗れた。風をきって走るのはとても気持ちが良かった。まわりの木々や芝生の緑が視界を通り過ぎていく。ハナコと一心同体になれた気がした。そのとき、私の胸は幸福感でいっぱいだった。


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それから2ヶ月経つと、厳しい冬が訪れた。東京では到底感じる事など出来ない寒さだ。これから約3ヶ月間は、寒さと雪と霜との戦いだとお祖父さんから聞いた。年末から2月いっぱいまでは、朝方は氷点下20℃を下回り、日中でも氷点下10℃近い気温らしい。寒いというより痛い。そのままでは鼻水も凍るから、屋外では常に鼻は隠しておかなければならず、慣れるまでは息苦しい。そんな状態で、深く積もった雪を掻くのはとてもしんどい。朝起きて、寮の周りを雪かきするだけで、疲れきってしまう。身体のあちこちが筋肉痛で辛かった。

空は毎日、鉛色で憂鬱になった。帯広に来てから初めてシュウの顔を思い浮かべた。机の引き出しの宝物入れの中にしまってある、白地に黒の水玉のシュシュを取り出して握り締めた。

〈シュウに会いたい〉

心の底からそう思った。

その日はシュシュを左手首に巻いたまま眠った。

夢の中にシュウが出てきた。

街角で私がシュウを見つけて叫ぶ。「おーい シュウ」。シュウが声に気づいて振り向く。シュウは、笑顔で手を振りながら走り寄ってくる。近くまで来たシュウに抱きつこうと両手を伸ばすと、シュウは私の手をすり抜けて、他の私の知らない女姓にハグをした。呆然とその場に立ち尽くす私。〈そうだよね。私がシュウのこと突き放したんだもんね。仕方ないことだよ〉。シュウは、その女性と楽しそうに手を繋いで歩いて行ってしまった。

目が覚めると涙が溢れていた。

私は左手首に巻いたシュシュで涙を拭いた。すると、別れを告げた後、デパートのトイレで泣いた時の気持ちが思い出され、また涙が出てきた。

〈このシュシュは涙を拭くために買ってもらったわけじゃないのに〉

「ごめんね」と呟いた。

涙を拭く事にしか使われていないシュシュに向かって謝っているのか、勝手な別れ方をしてしまった、シュウに対してなのか、自分でも解らなくなった。多分、その両方なのだろう。と納得した。


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