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◆遠吠えコラム・大河ドラマ「どうする家康・第2話『兎と狼』」・「強大な敵に立ち向かう家康の原点」(※画像は岡崎市ホームページより)

【無様な姿をさらしながらも逃げずに戦う家康の「原点」】

 元康(のちの徳川家康)の幼少期、松平家当主だった父広忠は、家内の権力争いを有利に進めるため、今川義元の後ろ盾を得ようと画策する。今川は支援の見返りとして人質を要求する。そうして駿府へ送り出されたのが、竹千代、すなわち松平元康だった。

 しかし、駿府へ向かう途中、まさかのハプニングが起こる。護送を担当した家臣が織田方と通じており、竹千代は、織田家に連れ去られてしまう。嫡男を人質に取られた父広忠だったが織田家に屈することなく、竹千代のことを潔くあきらめてしまう。こうして竹千代の尾張での人質生活が始まる。尾張時代の竹千代の記録は残っていないが、この時期に織田信長と出会っているのではないかとされている。


 ドラマでは信長は、赤鬼軍団のような賊たちを率いて竹千代の前に現れた。信長は竹千代のことを「俺の白兎」と言っている。家康は兎年の生まれであることから、「白兎」と呼んでいるのだろう。しかし「俺の」という部分がどうも引っかかった。所有を現す「俺の」をわざわざ白兎にくっつけるのはなぜだろうか。どこか竹千代=元康のことを気に入っているかのような気配も漂う。


 そもそも信長は、もともとは敵対していた元康と、桶狭間のほんの数年後には同盟を結んでいる。元康は第一話でも描かれていたように、桶狭間の戦いの前哨戦となる戦いで、大高城へ兵糧を運び込み、周辺にあった織田方の砦を落とすという戦果を挙げている。織田軍からすれば元康は憎き仇だろう。信長が元康と同盟を結んだ背景には、美濃の斎藤義龍との抗争で背後となる三河を安泰にしたい狙いがあったとされている。元康にとっても、信長との同盟は今川からの独立と三河平定の足掛かりにできるメリットがあった。ただ、そうした背景があったとしても、信長が元康の実力を認めていなければ同盟は成り立たなかっただろう。

 ドラマ上では、マーシャルアーツを使いこなす(恐らく)大河史上最強の信長に対し、竹千代は組手を挑み、涙を流しながら食らいついてかろうじて関節技を決めることに成功する。こうした竹千代の心意気を、信長は気に入ったのだろう。父信秀(演・藤岡弘、)が竹千代を殺そうとしているところを信長は助ける。時系列が行ったり来たりしてわかりにくかったが、「俺の白兎」の理由に合点がいった。信長と家康の数奇な関係を描いたドラマならではの潤色だった。

 でも、肝心の元康はこんな重要な思い出はすっかり忘れてめそめそしていた。人間、切羽詰まると大切なこと忘れてしまうよね。思い出すタイミングも奇妙だったが、まあいいか。たとえ無様な姿をさらしても、どんな困難にも果敢に立ち向かう家康の原点ここにあり。三河一向一揆も、小牧長久手も、そうやって乗り越えたんだね。

 ただ、そんな家康でも、乗り越えられなかった壁があった。それが、2話の最後で登場した武田信玄だ。徳川軍は、越後の上杉謙信との同盟を機に、甲斐の武田信玄と対峙することとなる。信玄が遠江へ侵攻してきた際には、あの信長でさえも危険を感じ、浜松城にいた家康に退却勧告を出している。しかし家康は勧告を無視して信玄を迎え撃つ。世に名高い三方ヶ原の戦いだ。この戦いで家康は完膚なきまでに叩きのめされ、恐怖のあまり陣中でうんこを漏らしている。困難に果敢に挑む姿勢が、災いした瞬間だった。

(了)


【参考文献】

小和田哲男「徳川家康 知られざる実像」(2022年、静岡新聞社)

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