見出し画像

それを差し置いてでも『日向坂で会いましょう』は今回ヒット祈願で良かったのか

今回も『日向坂で会いましょう』おもしろかったですね。

紅白落選が示した長らくの停滞を経て、2024年は日向坂46が勝負をかけてる年であり、11thシングル『君はハニーデュー』は勝負の一手であることは活発になってきたグループ活動から真摯に伝わってくる。

企画展『WE R!』や各種メディアへの出演、特に竹内希来里の地元・広島での冠番組や4期生の冠番組『日向坂ミュージックパレード』など4期生を筆頭に、メンバーの露出機会がぐっと増えた。

楽曲に関しても、今作は音楽番組によく出演している気がする。逆に言えばそれほど力を入れている新曲であり、わたしも近頃の楽曲の中で飛び抜けて良い曲だという印象を受けた。発売1カ月前には、発売延期という話題づくりも欠かさなかった

体感で申し訳ないが、前作に比べて日向坂46をプッシュしていこうと全体的にベースアップされた力の入れようを感じる。その勢いか、背水の陣か、今作のキャンペーンにはいっそう熱が乗ってるように感じる

このシングルで弾みをつけて、宮崎県日向市で2024年9月に開催をこぎつけた『ひなたフェス』へ勢いがつづけば万々歳である。地方行政をも巻き込んだこの大型イベントの成功は、今年の日向坂46の活動の総決算を表すといっても過言ではないだろう

2019年の「日向坂46」改名から始まった“日本のひなた” 宮崎とのお付き合い。
5年の時を経て、ついに思いと夢 が実現!

ひなたフェスHP概要より

(改名からすこし経過してからのファンなので、”改名から始まった”あたりの事情に詳しくないのでご存じの方がいらっしゃったら補足をお願い申し上げます。)

5月9日 追記:”改名から始まった”という宮崎県と日向坂46との関係は、日本のひなたを標榜する宮崎市が改名直後の日向坂に『日向坂で会いましょう』放送や宮崎県訪問を熱烈オファーしてきたことに由来するそうです。

さて、様々なコンテンツの中でも大きな影響力をもつ当番組『日向坂で会いましょう』では、メンバーの構成や卒業など日向坂46の組織図が大きく変化した転換点である11thシングル発売に向けて、表題曲MV解説センター・正源司陽子を深堀りしたりと、長らく行ってこなかった新譜発売に向けたキャンペーン企画を打ち出してきた。

言わずもがな、今回の【11thシングル「君はハニーデュー」ヒット祈願!!】もそのひとつである。今回は栃木県日光市のマックラ滝での滝行や福聚山 東海寺での護摩行の儀礼を行い、11thシングルのヒットを祈願した。

ただ、見終えてみて、やはり困難を乗り越える系のヒット祈願企画自体に飽食気味なことは確かだった。センターという大役を果たさんと冷たい落水に凍える正源司陽子を支えるメンバーたちは、確かに日向坂46がこれまでみせてきた相互補助のかのようだったが、あれだけ凍えてる人が間近くにいれば誰だって寄り添い介助するのが人として自然である。日向坂46メンバーだから、という特別な光景ではない。

相互補助のうつくしさよりも降りかかる辛苦にあえぐメンバーの痛々しさのほうに感情移入してしまい、結果的にメンバー間で起こっているドラマにのめり込むことができなかった。

振り返って、こんな風に冷めた目で企画をみてしまったのも、イントロダクションでついたケチの影響が大きい。たかが一言だが、されど一言である。わたしが記憶してる中で日向坂46と日光市に特別なゆかりは無い。それなのに、たかが”日”光市”ひ”がついてるという根拠だけで、大した縁故がない土地に言い寄るのは流石に節操がない新手の美人局か

あのウワキな一言は宮崎県日向市との義理に欠ける余計な一言だった。わざわざ際立てず「ヒット祈願のために日光市に来ました」だけで良かったじゃないか。

とはいっても、メンバー同士が勝負をかけた作品のヒットを祈願すべく各々の責務を感じながら敢行した滝行や護摩行する姿は実に感動的なものだったとおもう。特に今作センターを務める正源司陽子にのしかかっている重責を今一度強く感じた次第だ。

だがしかし、わたしは敢えて言いたい、このヒット祈願は悪手だったと。わたしは言いたい、今回こそヒットキャンペーンを打つべきだった

当番組のキャンペーン企画は、今回のように苦難を課される「ヒット祈願」と広告宣伝を課される「ヒットキャンペーン」の2種類ある。

そもそもわたしがヒットキャンペーン支持者なのもあるのだが、今回に限ってはふだんのリリースとは状況が全く違い、4ヵ月後には『ひなたフェス』という一大イベントが控えていることを考慮してもよかったのではないかと考える。今後を左右する勝負がかかってる今作のヒットを祈願する大事さや重要さは重々承知している。しかしながら、今回はシングルのヒット祈願だけを見るのではなく、その後も見据えたヒットキャンペーンにあえて打って出るべきだったし、それが出来たのではないか、とわたしは言いたい。

その根拠として時系列を挙げたい。このヒット祈願はナレーションによれば3月中旬に行われたという。(前後は不明だが)時をほぼ同じくして3月11日放送の『日向坂で会いましょう』では、日向坂メンバーが宮崎市長の清山知憲に直談判。市長は「ひなたサンマリンスタジアム宮崎」を使用できるよう県に働きかけることを約束してくれた。

あくまでわたしの見立てだが、このように責任ある人物がメディアで明確な意見発信を行う際はおおよそ見通しが立ってる場合が十分に考えられる。そして、会場を押さえるなど各方面のスケジュールを考慮すると、このヒット祈願が行われた付近では『ひなたフェス』がほぼ決定していた可能性も十分に考えられる。日向坂ちゃんねるで行った宮崎視察やこの直談判も、言ってしまえばポーズ、演出であるかもしれない。

であるならば今回はヒット祈願でなく、11thシングルを主軸とした中期的な見通しを立てたヒットキャンペーンを、選抜・非選抜など関係なくひろく実施した方が良かったのではないか、というのがわたしの主張の論理である。

少々疑り深い筋立てだったが、要は街に出るべきだったのだ。山奥に籠ってる場合じゃない。日向坂ちゃんねるで企画が進行してる?ーーー知るか、宣伝はすればするほどいいに決まってる。単純接触効果がモノをいうのは、このところ進めている日向坂46のメディア露出が立証しているはずだ。

参加の苦難もヒットの恩恵にもまったく寄与しない無関係な人間からすれば、今回のヒット祈願は割に合わないだろうなとおもいながら観てた。ヒットを祈願することも、その方法が滝行で護摩行であることも、その効果にもいささか懐疑的だし、そんなよくわからない手段や目的のために人が痛々しく奮闘する姿は見てられないというのが正直なところだ。

そもそもの出発点に立ち返れば、宗教的祈祷のようなヒットの祈願は作品の完成後ではなく制作過程にある製作者によってつよく捧げられてるはずだ。構造上、完成後にしか携われない日向坂46をもしそこへ参加させるならば、彼女たちの主な業務である広告宣伝こそ本質的なヒットの祈願なのではないかとさえ思う。餅は餅屋。餅屋に髪結いをさせるかのような歪さがヒット祈願にある気がしている。

日向坂46のアイデンティティは今大きくうねりながら変化している。ハッピーオーラから見出された彼女たちの幸福論はその理論構築を見直し、欠落・追加した要素を組み合わせ新たな幸福論を再構築しているのが、いま日向坂46で行われている営みだとおもう。

今回のヒット祈願企画は方法として乱暴だった。どうしても納得がいかなかったし、参加したみんなはとっても頑張っていたと同時に不憫にも感じてしまった。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?