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わたしの「夢」のカタチ/水樹奈々ライブ『NANA MIZUKI LIVE HEROES 2023』感想

1月21日、22日に水樹奈々さんのライブ『NANA MIZUKI LIVE HEROES 2023』に行ってきた。内容は「最高」のひと言に尽きる。2011年『LIVE JOURNEY』に初参戦してから、観てきたライブのなかでベストパフォーマンスだと自信を持って言える。スーパーエンターテイナー・水樹奈々へのまなざしは今も昔も、そしてこれからも変わることはないという信頼感は回を追うごとに増すばかりだ。

はじめて水樹奈々を見た時から、水樹奈々は東京ドームでのライブや紅白歌合戦出場などたくさんの「夢」を語っていた。そしてそれらをすべて叶えてきた。これといって叶えたい夢やどうしても貫きたい信念などを持ち合わせず生きていたわたしには、「夢」へまっしぐらに生きる水樹奈々のうつくしい生き様にどうしようもなく憧れてしまう

わたしが水樹奈々に出会う1年くらい前の中学3年生夏のすこし前、クラスメイトとの関係の不和から始まり修学旅行中に鴨川で独りで水切りをするまでに至るあの苦しい時期に生まれた「こんな思いは誰にもさせないくらい優しくなろう」という強い信念を粉々に砕けた自己肯定感は支えられなかった。今でもこの中学3年生前期のことはほとんど覚えていないし、思い出したくもない。生きてる心地は全くといっていいほど無かった。

わたしにとって水樹奈々とは素晴らしく生きるためにすがった大きな柱である。いつしか芽生えた「水樹奈々みたいに優しくて誰かを幸せにできる人なりたい」という憧れはもしかしたらずっと前から「夢」とよべる代物なのかもしれない。

今回のライブの1月21日の公演「LIGHTNING MODE」にわたしは大学からの10年の付き合いがある友人・まゆらを連れてきた。わたしにとって彼女を水樹奈々のライブに連れていくこともまたひとつの「夢」だった

個人的なことなので詳しくは伏せるが、多忙を極める仕事のせいである時期から彼女のコンディションが非常にわるくなってしまった。あの時のまゆらの今を生きるだけで精いっぱいな顔をみるたびに心が痛んだし、辛い日々を送る彼女をわたしはただ見てることしかできなかった不甲斐なさは今でもつよく覚えている。

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2019年夏頃、わたしはバッドコンディションのまゆらと当時の彼氏(わたしの友達でもある)が同棲してる家に毎週のように遊びに通っていた(今考えるとかなり迷惑なヤツだったとおもう)。現実的なまでの現実と向き合うまゆらにはちょっとでも自分は至ってフツウ、大丈夫だと思ってほしかった。2人よりは3人いたほうがと思い、まゆらには「なんか賑やかな人がいるなあ」とひとときでも気分が紛れてくれればそれでよかった。

一方で、一緒に住んでる友だちのほうも心配だった。バッドコンディションの底の底にいる人間との共同生活、漂う絶望の空気、精神的に参ってしまなわいか心配だった。だからわたしがいる間にまゆらがちょっとでも元気でいれば、わたしがなにかすることで2人ともダウナーから少しでも遠ざかってくれたらそれがいいなと思ってた。

日向坂46の冠番組『日向坂で会いましょう』が今アツい、とか、まゆらにおすすめされた借りた大泉洋さんのエッセイを数ページ読んでは「そもそも大泉洋に興味なかったわごめん」と返却したり、一方的にわたしからべらべらしゃべってしてみんなと過ごしたりしてた。しかし結局、わたしにできることなんてそれくらいだった。

ある日の会話の中で「水樹奈々聞いてよ」みたいなことを言ってみた。今ならわかる、テンションのカツアゲが過ぎる。当時大森靖子にハマっていたまゆらに自然を装いながら訊いてみた。「水樹奈々は強すぎて負けちゃう」だそうだ。あの一言は生きるだけで精いっぱいな彼女の現状をもっともリアルに感じた瞬間だった。バッドコンディションとは許容量の器にヒビが走ってる状態にあって、うっかり無理しようものなら今度こそあと戻りできないほどに壊れてしまうのだろう、と。

それでもわたしは無神経にもスマホから流してみたり、まゆらはまゆらでがんばって水樹奈々を聴いてくれたようでお気に入りの曲も見つかったという。『絶対的幸福論』を聞いたときに「泣いちゃいそうになった」と言ったときは好きな曲の魅力が伝わったのが嬉しかったし、彼女の感情が動いたことにすこし安堵していた。

この時から「まゆらが水樹奈々を聴けるようになったら大丈夫」というわたしの中にひとつの及第点が生まれた。彼女がどうやって回復していくのか、健康なわたしには過程こそわからなかったけど目標は見つかった気分だった。とはいえわたしにできることなんてない。相変わらず無力。

時が経ち、まゆらのバッドコンディションがだんだんと快方に向かいつつあるのでバイトを始めると言い始めた。きっともう大丈夫だろうと思った。元気になったついでに水樹奈々のライブに誘ってみた。まゆらが水樹奈々を聴けるようになったら大丈夫というおぼろげな及第点は、まゆらが水樹奈々のライブに参加するという明確な念願に、「」にすがたを変えた。OKの返事がもらえてすごく嬉しかったな。あれはたしか2020年の2月頃のこと。テレビでは中国で新型のウィルスが流行していると報じていた。

あとは皆さんご存じの通りだ。新型コロナウイルスの流行によって音楽ライブは次々に中止を余儀なくされ、水樹奈々のデビュー20周年を祝うツアーも中止になってしまった。当然まゆらが水樹奈々のライブに行くのも延期になった。

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実は、まゆらは今回の『LIVE HEROES』がはじめての水樹奈々ライブではない。わたしが水樹奈々のライブと友人の披露宴をダブルブッキングしてしまったので、2022年夏ツアーに代わりに行ってもらっていた。驚きと感動がつまった感想が送られてきたときはもう大丈夫だと思えた。

そして迎えた2023年1月21日、”水樹奈々に負けちゃう”まゆらはもういない。水樹奈々のグッズのタオルを首から下げた彼女はわたしのとなりで水樹奈々の歌声にしみじみと感動しているその姿は、わたしの「夢」が叶った姿だった。その姿は筆舌に尽くしがたい。おもわず抱きしめたくなってた。やらなかったけど。発表された次の夏ツアーもぜひ参加したいと伝えてくれた。今のまゆらには次がある。こんなうれしいことはない。

3年弱くらいか、まゆらを見守るわたしの話はこれにて一件落着。長かった。

当時を振り返ると、あのときのわたしは水樹奈々の1/10000くらいは優しい人になれていた気がする。ライブ中の水樹奈々はこれからも突っ走っていくと高らかに宣言した。ならばわたしもわたしなりに生きていこう。水樹奈々のように優しくて誰かを幸せにできる人なる「夢」のために。

おしまい。

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