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なぜカステラの皮は魅力的なのかの考察

食材には本体と、本体になれず「はみご」になってしまった部分が存在する。

それは鍋底のおこげであったり、蓋についちゃったヨーグルトであったり、パピコの片割れのちっちゃい方だったりするが、私はこうした「はみご」が大好きだ。器によそられた米より蓋やしゃもじについてる米の方が魅力的に思えたりする。また、カップアイスなどにおいてもアイスの真ん中より、フチの方についてる部分の方が食べたくなる。兎に角、真ん中より端っこ、端っこより蓋についた物、というように「食材の端っこ度合い」が高いほど胸がトキメクのだ。自分でも、心底意地汚い精神を持っていると思う。

しかし、おこげなら兎も角としてパピコの片割れなんてものは味が変わる訳でもないのになぜあれ程魅力的なのだろうか。そこには、勿体ないの精神だけでは片付けられない「端っこの引力」があるとしか思えない。そして私はその引力が、人間に備わった「外れ値を愛する心」に起因するものだと予測する。

平安時代、清少納言は「小さきものはみなうつくし」という格言を残している。普通に考えて、弱くて小さいものより強くて大きなものの方が優れているに決まっている。それでも小さい物を愛するのは、弱きを守らんとする思いやりの心が働くからなのだ。そして恐らく、カステラやパピコにおいても同じ原理が働いているのだろう。どう考えても、紙についたカワよりもカステラ本体の方がフワフワ美味しいのは明確だ。それでも、本来捨てられてしまうモノに対する慈悲深さが、アイスの蓋への、カステラの皮への、チビパピコへの引力を生み出しているのではないか。そう考えると、このはしたない感情も少しだけ愛おしく感じられる。

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