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かたくなな哲学


新幹線がボイコットを始めた。岡山から発車した機体は姫路で歩みを止めた。静岡の大雨のせいだそうで、僕たちは囚われの身となった。

今日は東京で旧友とBBQの予定だ。そのために家族との京都旅行を断ってまで新幹線に乗ったのだから、元を取るためにも私は絶対に東京に行かねばなるまい。

しかし、いくら固い意志を持とうとも新幹線が進んでくれる訳でもない。囚われ者にできることと言ったらポテトチップスの残りカスを啄むか、腰の限界に思いを馳せるのみである。隣の幼児がバラエティ豊かなお菓子とスイッチを握って閉じ込めライフを満喫しているのが憎たらしい。
暇に耐えかねた私は、「ちょっと失礼」とあたかもトイレを探してるようなツラをして新幹線散歩を始めた。

新幹線は面白い。寝こけてるおっちゃん、インスタ覗いてるおばちゃん、ラムネしゃぶってる赤ちゃん、皆がかったるいという志を一つに、プライベート空間をまんきつしている。だらけている人は総じてアホヅラであり、十人十色のアホを抱えて動く機体は中々に見応えがあるものだ。
グリーン車を通るとちょっと空気感が変わる。如何にも高級そうな服を着た人と、上品そうな仕草をした家族が悠々たるアホヅラでスマホを見ている。男の子が突き立てたスプーンがアイスに敗北している様を見ていると、人間は誰も彼も似たようなアホを抱えているのだと安堵を抱く。

さて、一通り人間観察を終えた後の新幹線ライフは腰の痛みに耐えるのみだ。席に戻るとガタンゴトンという振動が脊髄と加齢を打ちつけた。鈍い痛みは分刻みで悪化してゆき、私は5分も経たないうちに座ったことを後悔した。窓側である以上「ちょっと失礼」の2回目に入るのは少々気まずい。しかし、腰はそろそろ大団円を迎えようとしている。遂にはいつも姿勢を悪くしてたこととか、捻り歩きをしていたこととか、寝る前にボキボキしてたこととか、腰の走馬灯が一気に押し寄せ始めた。もうダメだと座席を立ち上がりかけたその時、チャラララ〜ンと車内アナウンスが流れ出した。この新幹線は新大阪を終点とし、東京へは行かないとのことだ。私はお隣さんと合わせた目を宙ぶらりんにしながら、何食わぬ顔で席に座り直した。

正直な話、アナウンスを聞いて最初に訪れた気持ちは安堵だった。というのも「絶対東京に辿り着かなければならない」という気持ちは、運転停止から20分ほどで「できれば辿り着いて欲しい」くらいに落ち着いていたからだ。30分経つ頃には「まあ、ついてくれたら嬉しいかな…」くらいになっており、1時間も経つと「どうせ無理だろう、それならいっそとっとと大阪に戻りたい」などと完全に諦めモードだった。諦めの良さというものはこういう時に役立つものだ。

とはいえ、散々待ちあぐねた結果京都観光もBBQもオジャンになったのは癪である。その上腰痛まで手に入れたのだから、気持ちとしては「アブハチ取らなかった上に刺される」くらいだ。やけになってレモンサワーを飲むおじさんなどを眺めつつ、ここにいる人の中でいちばんのアホは誰なのだろうなどと考えて岡山から新大阪への5時間の旅を終えた。


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