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素晴らしき放銃を褒めたたえよ

Mリーグ2023-24・セミファイナルの初日、内川プロが白を止めた一局が大きな話題になった。本ntoeでもその損得について記事を書いてみたが、かなりの反響があった。

南2局、内川プロが発・中ポンと仕掛けている鈴木優プロ相手に対して白を切りきれず流局になった。この時の内川プロの手がチャンス手で、かつラス目の親番だったため、「白を切るべきだ」という意見と「大三元の可能性があるところに白を打つべきでない」という意見に分かれ論争となった。

どちらの論も主張したいことは分かるのだが…本来麻雀の打牌を評価する上で、大三元に放銃するかはどうでもよい事象のはずである。もちろん白を切って大三元に放銃する可能性は常にわずかながらある。しかし仮にその場面で放銃するのだとしても、何度も同じような状況が訪れたときに白を切る/切らない、どちらが得になるのか?で打牌は評価されるべきだ。長期的に見て白を切る方が得なのならば、白を切って放銃してしまうべきなのだ。

そして長期的に見て得か?というのはもう数字でしか判断できない。白を切った時の損得と白を切らなかった時の損得を比較して、どちらの方が得かを考え、得な方を選べているかによって打牌を評価するのだ。

ただ、Xを見ていて思うのだが…そういった実際の損得に対して明言している人というのは意外に少ないように感じられた。優プロの手が大三元じゃなかったから切るべきだという結果論的な言動や、白を切らなくてもまだ後の局で勝負できる、とかそもそも白を切るのは他の人に迷惑であるという精神論とか…。いずれも本質的な議論とは言いにくい部分がある。

こういった話は今回のケースだけでなく、対局の様々な場面で大なり小なり起こっている話である。その際になぜこういった形の議論に終始することが多いのか?その原因は何なのか?と考えると、まず一つには視聴者は全ての情報が見えている、ということがあるだろう。

プレイヤー側は情報が制限されており、その中で自分にとって最適な一打を考えているが、視聴者側はそのことを忘れて全ての牌を見た上でこうなってほしいという願望の一打をプレイヤーに求めてしまう。これがまず第一の原因。そしてもう一つ大きな原因だと思われるのが、麻雀界に昔からある固定観念である。

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