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背中で語った父

 僕は今22歳だ。自分の年齢を考えた時に、たまに親が自分の年齢の時はどうだったのか、気になることがある。

 たしか僕は父が22歳ぐらいの時の子供だ。小さい頃の父との思い出は凄く多いわけではない。子育ては主に母親が行っていて父は仕事に忙しい人だった。若くして子供をもったため金銭的に余裕もなく、一生懸命に働いていたんだろう。

 毎朝、僕が寝ている間に家を出て、僕が寝る直前に帰ってくる。同じ家に住んでいるはずなのにすれ違いが多いせいで、何気ない会話をすることは少なかったと思う。

 子育て、家事の全般は母親がやっており、父親は仕事が休みの日に家事を変わるような感じだった。

 僕が小さい頃は夫婦喧嘩をすることもよくあったが、未だに父親が勝った姿を見たことない。常に惨敗だ。仕事から疲れて帰ってきた父親は、家で母親にボコボコにされるといった光景が珍しくはなかった。まさにオーバーキルのような状態だ。

 子供の頃の僕はそんな父親のことを凄いとは思わなかった。むしろ、なめていてすらいたかもしれない。「父親」といった威厳を感じさせない、穏やかな父に対して、恐怖を感じることはほとんどなかった。

 だけど大人になるにつれて凄さがわかる。20代前半で周りは遊んでいる時期に、外に出たい気持ちを抑えて仕事を頑張り、休日は家事を頑張る。

 たまにある夫婦喧嘩では、歯向かうことは許されず、妻の毒を浴び続けた後、悪かったと場を収め、同じことを繰り返さないように自分の行動を修正する。

 僕は結婚したことがないからわからないが、これは当たり前のことだけど当たり前のことではないように感じる。昔は、弱々しく見えていた父親が今は誰よりも強く優しい男に思える。

 直接、僕に何かを伝えることはなかったが、僕はそんな父親から、親のあるべき姿、男のあるべき姿を学んだ。

まさに背中で語るとはこういうことか、と。

 この間、父親と二人で飲んでいるときに聞いた。僕が生まれてから凄くたくさんのことを我慢してきてきつかったんじゃないかと。

父親は言った。母さんにはいろいろ好きなようにさせてもらっていたと。

 あれ、オカンにこの会話聞かれているのかなってぐらいに言わされた感のある言葉だったけど、そこも父らしくてよかった。

この記事を書きながら、僕が父を超えられているのは、まだ身長だけなんだと感じた今日この頃だ。

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