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名称のない仕事

よく、何になりたいですか?と聞かれる
あるいは、どんな○○になりたいですか?と聞かれる

その質問はとても困る
職業名にこだわりがない人もいる

職業名や種類分けあり気で質問することは
この社会において有意義だろうか
職業名の定まらない仕事をしてる人はこの世に何人もいるだろう
そういう方々にとって、職業名なんて強いて言えば
"この職業に近いかな?"
"説明するために言っておこう"
くらいの程度の価値しかない

ミラノ風ドリアはミラノ風なだけであって
本当のミラノの本質はみえてこないのと一緒である

グローバル化が進み多様性、多文化な社会へと変貌している
それに合わせて仕事だって多様化している
デザインをしながら弁護士やってる人もいるし
コンサルティングしながらパティシエやってる人もいる

一見、職業の名称だけを聞いても
全然違うことをしているように聞こえる
2つやってるようにみえる

でも、本人たちにとっては繋がりのあることのほうが多く
1つのことをやっている感覚なのだ

名詞より
動詞が大事なのだと思う
何をやってる人なのか
何を大事にしている人なのか
それを見ることが、相手に寄り添うことにつながる

医者とか弁護士ってすごいなーって思ったり
介護士とか保育士の仕事って大変そうって思ったり

それは
ステレオタイプを作るきっかけにしかならない
色眼鏡で人をみたり
決めつけるなんて
個人に対して失礼だ

どんな○○になりたいですかについては
学生の方が聞かれるかもしれない
どんな看護師になりたいですか?とか
どんな公務員になりたいですか?とか………

でも、よく考えてみて

人のためになれる看護師になりたいの?
人のために何かをするために、看護師になるのでは?
たぶん、看護師でなくても人のために何かはしたいよね?
看護師が重要なんじゃなく
大切なのは、誰かのためになりたいという想いだよね

看護師を育てるんじゃなく
誰かのために何かをできる人を育てるべきなんだよね
看護師より人のために尽くせる仕事をみつけたら、
そっちに移行することだってあると思う

目の前の誰かを大切にするなら
名詞より動詞を見つめるべきだと思う

ミラノ風ドリアもきっと
何風か聞かれるよりも
どんな味か食べてもらったほうが嬉しいと思う

所詮、名称は名称
イメージがついたほうが関わりやすいけど
そんな安易に構えないで
しっかり関わる意思を持っていこうよ

イチローだって
名前は長男っぽいけど違うし
国立病院機構は独立行政法人だし

本質見なきゃわからんよ
そして、言葉だけでも分からんよ

自分自身を使ってかかわって、感じなきゃ
私はミラノ風ドリアが好きだよ
たとえ名前が違っても

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