Mackey fan note052「青春」

1999年発売のアルバム「Cicada」に収録されている一曲。

『pool」』、『Cicada』と、夏の曲たちが象徴的なアルバムにおいて、この曲もまた、夏。

 今挙げた曲で言うと、『pool』は初夏の清涼感ある爽やかなイメージ、『Cicada』は残暑、少し落ち着いた暑さのイメージ、この曲は結構、夏真っ盛りという印象を持たせてくれます。まあ、冒頭の「エアコンの効かない部屋」から始まる一節がまんまそうなんで、多少は引っ張られた部分もありますが。夏の素敵な面だけじゃなく、少しうんざりする一面も感じさせられます。夏の曲がこれだけ重なり合ったアルバムで、どれも差別化が図れているのが凄い。

 珍しく、風刺的な一面もあってヒリつく感じが新鮮。これもまた、暑さで少しイライラする険悪さを思う、リアルな温度感がある。若い男女が自分たちなりの青春を模索する。といえばキラキラしてるけれども、必死に、泥臭く、という感じ。そんな中で、日常に存在する普遍的なアイテムをあげつらい、その中から青春を見出すべくもがいているのが槇原敬之らしい。

 なんか、歌詞カードだったかに注意書きの如く、意図的にノイズの音を入れていますみたいな説明があったのを覚えてる。どこの事なのか未だにわからないけど(イントロの一発目の音か?)、演出として意図的にノイズを入れる事が音楽ってあるんだなと驚いた記憶がある。そして、その手法はこの曲の歌詞に出る人物の手探り感に非常にマッチしているようにも思えてワクワクした。

僕らの小さな小さな心の部屋
たいして綺麗にしてるわけじゃないけど
嘘という泥のついた靴をはいてるなら
落としてからじゃないと入れないよ
簡単だよ 裸足になればいい

上記はラストサビのフレーズ。最初に聞いた当時、高校生だった僕。「嘘をつくのは良くないよ」というド直球なメッセージに捉えてたけど、最近聴いていてよく考えたら違うのかなと。「落としてから」と忠告はしているけれど、最終的に「裸足になればいい」、要は靴を脱げば良いと提案している。…という事は、嘘自体は否定してないんでしょうか。

自分の心に入ってくる時は全てさらけ出してほしいけど、別の場所で身にまとうのは仕方ないよ、的な。脱ぐだけだったら、部屋を出る時にはまた履くわけだから、嘘は嘘のまま保たれているし、咎めない。そう捉えてみると救いがあるし、生きていく上でしょうがない事へのバランスのとり方が絶妙なフレーズ。

どっかの曲で書いたかもしれないし、平気でまた書くかもしれませんが、 『青春』とか『運命の人』、最新作に収録されている『HOME』とか、マッキーの作るタイトルだけだとベタベタな曲って、タイトルがベタベタであるほど中身がひと癖ある内容でとても好きですね。アルバムの曲目が発表された時も、予想の幅が広い分、そういう曲ほど内容を予想しての答え合わせが楽しかったりします。槇原敬之で出来る唯一のゲーム。

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