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日記ー隠されたシンデレラ・コンプレックスー

まず、日記も兼ねているため冗長な文章であること、本題に触れるのが後の方であることを伝えておきたい。


私は今卒論を書いている。卒論といっても大学生ではなく高校生だし、提出しなければならないのも論文ではない。しかし概ね卒論であるので便宜上卒論と呼んでいる。


私が選んだテーマは男女平等とジェンダーフリーについてだ。男女平等な社会とジェンダーフリーな社会の違いを述べ、それについての意見やデータをまとめるつもりでいる。現在は数冊の本を読みメモをまとめている段階だ。


はじめに読んだ本ではジェンダー法学から男女平等について、そしてトランスジェンダーが現状どう困っているか、それをどう解決していくか、男女平等と性的マイノリティ問題は対立するのか?といったような内容だった。非常に興味深い点が多かったが、私が書きたいテーマと直接的には結び付かない点と、法律中心の問題解決の方法が難しく読むのに少々苦労した。法学の知識は必要だとは思っているが、興味関心は正直無い。


私は心理的な面から差別に言及した本を探していたらしい。自分が求める本に気付き、次に読んだのはアドラー心理学を基に、夫婦間の仲をどう良好に保つかという内容の本だ。これは読む前から卒論の主題からは遠いなと思っていた通り、参考になる内容は少なかった。男女二元論的かつ男女平等の感覚が薄そうな作者の思想も相まって、私にとって良本とは言えなかった。


そして三冊目が現在読んでいる新書、『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』である。この本は世界的な男女平等への運動がどう進んだかを法律の面から軽く説明しつつ、差別が起こる社会構造を身近な例をあげて分かりやすく説明している。ものすごくとっつきやすい本なのだ。オススメしたすぎて読み終わってもいないのにこうしてnoteを書き始めている。それほど読みやすいのだ。そして発見も多い。普段からジェンダーレスに関心のある私でも、知らなかったことや気付いていなかったことがたくさん知れ、気付けた。法律も大事だが根本的な差別意識を無くさなきゃ差別者と被差別者の溝は深まる一方だろう、でもその原因って何なんだろうと思っていた私にピッタリの本だった。


さてこの本では、本のタイトルにも繋がってくるがシンデレラ・コンプレックスについて触れている。シンデレラ・コンプレックスとは、簡単に言ってしまえば受け身な心理傾向のことを指す。これを抱える人間は、誰かが幸せにしてくれるだろうと思って、自分から幸せを掴みに行こうとしない。努力して何かを得ようとすることを恐れる「成功不安」を抱えがちである。ハッキリ言語化できなくてもどこかあてはまる女性は、今の社会ではまだそれなりにいるんじゃないかと思う。
(※「女性」と限定しているのは、私が「女性は生まれながらにシンデレラ・コンプレックスを抱えている」と考えているからではない。社会的性別の女として、幼い頃から童話などを通してシンデレラ・コンプレックスを抱くように刷り込まれているのである。詳しくは本を読んでいただければ分かる。)


私自身はそういったシンデレラ・コンプレックスには共感できないなと思っていた。自分にやれることがあるなら自分で勝ち取りに行くべきだ。私が小学生の頃に読んでいた少女漫画も、暗にそう言っていた。少女漫画の主人公の彼女らは、結局は自分の選択で幸せを手にしていたのだ。今思えば珍しいタイプの少女漫画を読んで育ったのかもしれない。


しかし私は突然に気付いた。超最近悩んでいたことって、根底にシンデレラ・コンプレックスがあるじゃないかと。何の話かというと、12月6日の日記でも触れている「告白されたことが無いという悩み」のことだ。あれなんて考え方がモロに受け身だし、本で書かれている通り自分の力で解決することが絶対にできない悩みだ。悩むだけ無駄である。自分から告白するのはなんか違う、という点も「成功不安」で説明がつく。典型的なシンデレラ・コンプレックスを抱えていたワケだ。


だからなんだということもないのだが、自分の抱える悩みがどういった類の悩みなのか分かれば対処法も見えてくる。今回の場合は「悩むだけ無駄」「然るべき時に自分から告白せよ」ということで結論が出た。またひとつ悩みが解決した。嬉しいことだ。


プリンセスになりたいという願望も特に抱えていた覚えのない私でも、こうして無意識にシンデレラ・コンプレックスに苛まれていた。それではプリンセスに憧れたかつての少女たちはどうであろう。私以上に苦しんでいるに違いない。


待っていれば迎えが来る。大人しくしていれば幸せという食事が運ばれてくる。そのために必要なのは魔法と美貌、そして従順さ、無垢さ。それを教えてくれるのが童話というワケだ。実際には無いものばかりを並べて、少女たちに夢を見させ、そしてやがては現実を受け止めさせ、夢想を諦めさせる。長い目で見たら精神的ないじめに思える。実際その意識から抜け出せず幸せに選ばれようとする女性は今でもゴマンといる。これは彼女たちの考え方が悪いのだと一蹴できる問題ではない。それを正しいと教えたのは大人で、刷り込まれたのは幼少期なのだ。自分の子どもが生まれたらそんな悲しい現実と隣り合わせの童話など読ませたくないと思った。こうして女性は小さい頃から諦めを覚えさせられるのだなとも思った。


まだ本は前書きのような部分なので、これから読み進めていく上で更に発見があると思う。続きが気になってしょうがない。

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