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17歳になった

 17歳になった。華のセブンティーンとも言うが、16歳だったときの自分のままではきっと、華とは程遠いセブンティーンを過ごすことになるだろう。
 キラキラしている女子があげているようなストーリーをあげたい。誰とでも臆することなく話せるようになりたい。友達とプリクラをたくさん撮りたい。可愛いスイーツを作れるようになりたい。体育が人並みにできるようになりたい。彼氏が欲しい。
 私だって人並みの、平均的な、なんというか簡単に言えば、普通の女子高生になりたかった。嫌なことがあったらいつまでもずっと引きずってしまって、相手は何も悪くないのに私の機嫌を損ねないように慎重に接されて、それが悲しくて私だけが不機嫌になってしまって、こんな自分勝手な暗い性格が嫌いだ。死にたくなる。

 私は昔から死にたかった。死にたいとずっと思っていた。小四の、あまり覚えてないけどきっと美化されてしまった最悪であっただろう日々。一回だけ、私は自分の胸に包丁を突き立てたことがある。痛かった、刺せなかった、悔しかった。私の胸は、少し赤くなって、血が少し滲んでいた。死にたかったけど、自分で死ぬのは怖かった。テレビで自殺のニュースが流れて、自分で死ぬという恐怖に勝った人たちは、その恐怖に勝てるほどの苦しい思いをしていて、私なんかと比にならないくらいしんどかったのだろうと思った。小学生の自殺のニュースが流れて、別にいじめられているわけではないしあの子ほど辛い思いはしていないし、私はまだ死んじゃいけないんだと思った。だから死ぬことをやめた。諦めた。もうどうでもよくなった。今思えば、私はずっと死にたかったのだ。私は人間として生きることが下手なのだ。向いてないのだ。
 でも、私は生きている。死に損なっている。17歳になった、もう17歳になってしまった。セブンティーンは誰かに華にしてもらうんじゃなくて、私が華にしないといけない。軽音楽部も、もう引退が迫っている。外部の、プロを目指すバンドを組もうと言っていたベースには飛ばれた。私には音楽しかないのに、音楽でしか生きる価値を見出せないのに、これからどうしていけばいいのだろう。死に損なったから、死ぬのはやめる。でもまたすぐに、絶対、死にたくなるけども結局自分で死ぬことはできないから諦める。何を書いているのか分からなくなってきたけど、今の私は必死に、生きることだとか死ぬことだとか、自分の価値だとか、公共で習った、思春期特有のアレについて考えている。

 ダラダラと書いたこの文章は誰も読まないかもしれないし、誰かに読まれるのかもしれないけど、自分が満足して書けたのでもうなんでもいい。バンドをやっててファンがこれを読むとかなら、「ここまで読んでくれたあなたへ」みたいな文章を書くのだろうけど今は必要ない。とりあえず、何が言いたいのかというと、私の今年の抱負は、セブンティーンは自分で華にするということです。これまでの自分と変わるということです。終わり!!

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