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乃木邸に行って参りました。

2020.12.9


午前中に目黒で所用を終えて、

「さ、どこへ行こうか」と 顔をあげて

東京メトロの路線図とにらめっこ 。

あーでもないこーでもないを
独り言をぶつくさ言いながら。。

「ここだ!!!!!」

(あれは確実に何か降って来た
レベルのヒラメキだった。)

決まった行き先は「乃木坂」

先に行っておくが、決して
乃木坂46のファンではない。

私で「乃木坂」と言ったら
このお方しかいない

乃木希典


幾度となくガイド時代に

バスの中から案内した乃木邸へ、

乃木大将が祀られる乃木神社の参拝を目的に。

いざ、乃木坂駅!!!!!

初めて降り立った乃木坂駅

ミーハー心を爆発させて
「これが乃木坂か〜」

思わずそんなことも思ってしまった笑

しっかりご挨拶からと
乃木希典ご夫妻を祀る
乃木神社へ。

乃木坂駅A1出口からすぐ

駅から地上に出るとすぐに
立派な鳥居がお出迎えしてくれた。

どこか背筋がピンと伸びるような
気持ちで一礼、鳥居をくぐった。

入った先に、境内案内図

ガイド時代から境内図を
よく見る癖は体に染み付いた(笑)

下調べが完了し、手水舎で手口を清め

いよいよ拝殿へ。

ここで大ミス

拝殿の写真を撮っておりません😭

いや拝殿を目の前にしたら
写真を撮ることも忘れて
夢中になっておりました。

二礼、二拍手、一礼のご作法で参拝をし、
(この時、乃木ご夫妻にに届いて欲しくて
渾身の二礼二拍手一礼をしました)

どこか憧れの人に会った後の
心のほかほかに大満足。

さ、乃木邸に移動するか〜と
思った矢先に、、、

境内にもう一つお社があるとのこと

普段の私なら絶対に主祭神を祀る
お社しか基本参拝しないのですが

この日は何かに導かれるように
もう一つの社に足を進めました。

正松神社との出会い

ここで、私は震えました。

なんと吉田松陰先生が
御祭神となるお社でした(泣)

こんなにも感情を昂らせる理由は
以前の記事にまとめております🙇🏻‍♀️

ちなみに共に祀られる玉木先生は
松陰先生の叔父にあたる、お方で
吉田松陰が自ら教鞭を振るった
松下村塾を開いた方でした。

しかし?なぜ?

ここに松陰先生とその叔父にあたる
玉木先生が祀られているんだ?と
いう疑問はまだ拭いきれないまま
(次号で紹介します。)

イチョウの落葉が見事でした 。

参拝を済ませて、正松神社を
あとにしました。

彼の激動の人生に触れる

その後、境内を引き続き見学。
すると宝物殿の看板が、、、、

「宝物館」
この言葉、私の大好物です笑

入館するとそこには今まで私が
知り得なかった乃木将軍の数々の
エピソードから、ゆかりの品々が
並んでおりました。

とりあえず一言。

なぜ今までなにも知らなかったんだ。
何を知ってバスガイドなんてしていたんだ。

そんな思いが脳内を駆け巡った。

あのバスガイド教本のたった何行では
絶対に知り得ない。

彼が真面目に、一本に想い続けた
信念とそこに寄り添った方々との
思い出全てに胸が熱くなり、
ひとり泣き、、そうになりました。

(ひとり今にも泣きだしそうなところに
他の方がが入館されたので堪えました笑)

彼の一生については、この記事内に
まとめていたのですがあまりにも長く
なりすぎてしまたので、次号の記事に
まとております。

乃木将軍の一生に触れたところで
いよいよ乃木邸へ。

いざ乃木邸へ。

乃木神社からは裏門を使ってすぐです。

表から入ろうか暫し迷いましたが
「ひとときも無駄にしたくない、」
自分なりの答えを出し、乃木邸へ。

紅葉が見事でした。

紅葉に見惚れながら、
かつて乃木将軍が耕した
家庭菜園の名残など、ご夫婦の
生活を垣間見れて嬉しかった。

そして木々の間から乃木邸が

ついに、乃木希典ご夫妻が
最後を共にされたお屋敷か。
と、背筋がシャンとした。

地上2階、地下1階建て


この乃木邸は明治12年に購入し、
明治35年に改築されたもの。

乃木将軍がドイツ留学時代に
明治19年フランス陸軍を見学した際に
スケッチした建物を参考に建てられたそう。

バスからしか見たことがありませんでしたが
近くで見ると、より素敵な建物。

洋風でも、和風でもなく、どちらの
よいところも留めた素敵なお屋敷。

そこからさらに足を進めると

屋敷の周りをくるり半周
できるようになっており、

窓越しではありますが、
各部屋を見ることができます。

リビングルームの当時の
家具なども見れました。

乃木将軍ご夫妻の命日に合わせて
邸内一般公開も行なっているそうです。

夫妻が明治天皇の後を追った部屋

順路に沿って、進んだ先最後にあるのが
乃木希典、夫人が自ら殉死されたお部屋。

窓越しに見学させていただきました。

「うつし世を 神去りましゝ 大君の みあと志たひて 我はゆくなり」

「この現世を明治天皇は去ってしまった。明治天皇の後を慕って、私も死ぬとしよう。」

確かに彼のことを知っていたし、
亡くなった理由も知っていた。

でも、

明治天皇との間にどんな思い出があって、
どんなに思い慕っていたかは知らなかった。

知ろうともせず日々この場所を
バスの中から案内していたことが
恥ずかしい、ごめんなさいと思った。

次号で語らせていただきますが、
彼の中で、明治天皇は間違えなく
命の恩人でした。

しかも一度ではなく、2度も
乃木希典の命を救いました。

彼はだからこそ、天皇陛下が
亡くなったその時は後を追う。と
決めていたんじゃないかなと思った。

夫人においては、乃木希典は
共に殉死するつもりではなかった。

それは、彼女に宛てた遺書を
残していたからである。

でも、「一生添い遂げる。
そんな思いを持って共に
命をたったのかと思ったら。

キュッと胸が締め付けられた。

写真は撮るべきでないと思った

だから、心の中にそっとしまった。
2人の思いも、あの光景も。
私が感じた全てを。

誰かを思って死ぬのが良いとは
今私は思わないし、言わない。

でも、

このお方に救われた、
この人のため生きる。
と命を燃やし、義を尽くした
乃木将軍は真のラストサムライだった
んじゃないかなと思ったんだ。

こんなにも胸を熱くする
何かについて語れることに感謝する。

もうバスの中では語れないけど、

今、私は場所をnoteに変えて
声を大にして語っている。

乃木将軍、あなたが守った
日本はとても素晴らしい。

その心意気もっと多くの人に
届くように、心を燃やします。

ありがとうございました。

以上、乃木邸に行って参りました。
でした!!!!

ウエマツレナ


編集後記

#週1note にお誘い頂いたのが
キッカケで、私自身を発信する
ツールに出会うことが出来ました。
投稿日が遅れてしまいましたが、
最終週まで書けて良かったです。
誘ってくださったヒロミさんに
心から感謝します。
ありがとうございました!

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