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母への思い

私はたしかに母が嫌いで、色んな怒りを感じる。
小さな頃に褒めてくれなかったこと、ヒステリーを起こして叫び声をあげて怒り散らしていたこと、二階の和室でビンタされたこと、不機嫌な顔で黙りこくっていて、こわごわ口にした本で見た冗談を無視されたこと、高校生の時延々と暗い顔で父の愚痴を毎日毎日聞かされたこと、長女の出産前にパパを隠れて呼び出してパパの育休取得に反対したこと、長男の産前産後に快く手伝ってくれなかったこと、産後間もないときに父の浮気で情緒不安定になり予測不能な行動でうちに入り込み急に怒り出したりしたこと。
キリがない。
仕事を退職して毎日のように習いごとをし、街に出てきて友人とランチをしても、何をしても満たされない母。不平不満が多い母。

あんな風にはなりたくない、と思って母を見ている。
でも、みーちゃんたちを大声で怒鳴りつけてしまう自分がいる。怒鳴るとスッキリする。でも、みーちゃんは余計泣いたり、黙り込んだり。「ママきらい」といって一緒に寝なくなった。ママきらい、といった後に、「でもちょっとだいすき」なんて、三歳の子に気を使わせている。そんなママ、私がみーちゃんだったとしても嫌いだ。気持ちはよくわかる。わかるのに、自分だって嫌だったのに、どうして同じことをしてしまうんだろう?私は、自分がされたことを、仕返ししたいんだ。でも仕返しする相手が違う。私はみーちゃんたちにそんなことをしたらいけない。

本を読んでハッとしたことがあった。「嗜癖」という言葉で、負の感情を紛らわすための癖みたいなもの。人を介するものに「愚痴を言う」がある。私は嫌なこと、怒りが生まれたときに、その時すぐ誰かに電話したくなる。そして愚痴を言いたくなる。これは私の嗜癖だったんだ(そして母の嗜癖でもあるに違いない)。そして、愚痴に対して期待した反応が得られないと、愚痴を言った相手に怒りを感じる。相手に自分の負の感情を押し付ける上に、八つ当たりをしていたんだ。そんな当たり前のことがわかっていなかった。誰かに話を聞いてもらうのは悪いことじゃないと思ってた。でもそんなことなかった。私は母が毎日愚痴ばかり言うのが本当に嫌で早く家を出たかったのに、いつからこんなに愚痴をいうようになったんだろう?愚痴だけじゃない、キレたり、感情のコントロールができなくなったのはいつから?母のことを考えて辛くなり、怒りを感じるのは、やっぱり子供が生まれてからだ。「私はそんなに可愛がられていなかった!私はもっと怒られていた!」そんな風に叫んでいる自分が本当にいる。
ただ、自分はACだ、悪いのは親、家系だ、ということにして、それから小さな自分を抱きしめて、それから?
たしかに親は私の欲しい愛情をくれなかった、マイナスの行動で抑圧されていた。でも完全な親っているんだろうか?こんな風に考えるのはやっぱり親を理想化、愛されたいと思っているからか?
親も不完全で不安定な人間だから、いつまでも怨んで親のせいにしてるわけにはいかない気がする。どうすればいいんだろう?
本を読んで終わりにするだけじゃなくて、もっとACをつきつめるワークをするべきなのだろうか?カウンセリングとか?それより、やっぱり認知を変えたら楽になれる気がする。わからない。
私には未だに小さな子どもの部分がある。親に期待している。愛してくれることを。でも、欲しい愛情は得られないんだ。未だに、姉は自慢の娘、兄はがんばっている、あんたはいつもふらふら適当に怠けているわね、そう思われていると感じていて、本当は私も自慢の娘だと思って欲しい、でもそうじゃない、と感じている。がっかりしている。
病気の時に濡れたタオルで顔を拭いてもらったり、手をつないだりしてほしかった。形だけ1時間年休でバタバタ家に帰ってきて、また出て行くんじゃなくて。お母さんは私がいない方がいいんだろうな、と思っていた。不機嫌に早足で歩く母の横を小走りでついていった。母は私の歩くのが遅いと言った。私は今も、わざとのように遅く歩く。歩くのが早いのを誇るようだった母。母の足は長かった。私はもっとゆっくり歩いてほしかった。
お母さん。あんな母でもやっぱり母を求めているんだ。多分一番幼い時の記憶、山で風に吹かれて帽子を手で抑える母をマネして、自分の帽子を手で抑えた。お母さんが好きだった。
いつも嫌いだと思っていた。でも、お母さんが好きだった、て書いたら涙が出てきて、今泣いている。お母さんが好きだった。愛してほしかった。甘えさせてほしかった。怒らないでほしかった。褒めてほしかった。喜んでほしかった。(小さな自分と現在の自分が混在して、書く上でも「母」と「お母さん」が混ざってしまう)
こんなに母を求めていたんだなあって、今、びっくりしている。形や行動じゃなくて、心で甘えさせてほしかった。安心させてほしかった。
みーちゃんたちも同じことを求めている。本当に小さな自分をみているよう。抱きしめてあげたい。
そして、私はお母さん不足を乗り越えないといけない。私のお母さん像と実際の母が一致することはない。現実にはなかなか噛み合わない。私にはお母さんが足りてない。みーちゃんたちには、お母さんが足りてない、てなるわけにはいかない。私と母は違う。私は母じゃない。同じようにはならない。なりたくないから。だから、どうすればいいのか?

※これは2年半前に書いたものです。

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