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先生である私を壊したのは。仕事の価値観についての記事です。

今日もお読みいただきありがとうございます。

今回は自分自身のことを、今考えていることを書きます。
雑談です。

不登校支援、探究教室を仕事にしている「きときとの杜(もり)」です。
普段は、読んで実践するだけで、子どもとの関係がふかふかになるブログを書いています。

最近は我が子が不登校になったらどうしたらいいのか、ということを何回か連続で載せていますので、そちらに興味があったらお読みいただければ幸いです。


今日は私自身の考えていることです。

先日参加した哲学対話では
「絶望から立ち直るのはどんなときか?」(ちょっと改変しています。)
というテーマでした。

重たい内容ですが、考えるのにとてもいいと思っていたら、
「絶望とは希望が全くない状態。」
「本当に希望が無くなって自死においこまれたことがある」
という参加者の方の話を聞いていて
涙が止まらなくなりました。

私は半年前に教員を辞めました。
教員という仕事が大好きで、特に担任として子供たちに関わることが好きでした。
一般的にみれば、さほど悪い先生ではなかったように思います。
授業改善にいつでも取り組んでいたし、子どもたちとの関係を築くために
遊んだり、相談に乗ったり、いろいろな手を尽くしてきました。
子育て中でも、日々の学びは欠かしたことがありません。

私には、憧れの担任の先生がいて、その先生に近づきたくて、たくさん学びました。
いわばその先生が希望でした。

憧れの先生と職場が別になり、新しい学校でその先生のように子供たちに関わろうとしました。職場の先生たちの助けにもなろうとしました。
個人プレイからチームプレイになるように心がけて働いていました。

しかし、ある日突然何をしても面白く感じられなくなっていることに気が付きました。
その頃のことを思い出そうとしても詳細に思い出せません。

このとき、私は、確かに絶望を感じていたのだと思います。

憧れの先生のようになりたかった。たくさん勉強もした。
でもその先生のようにはなれなかった。

大好きで大好きで「こうなりたい」という自分がそこにあったから、
「なれない」と分かってしまったことに絶望したのだと思います。


先日、先生支援をしている仲間の話を聞きました。
先生支援のお仕事を続ける傍ら、新しい仕事に活路を見出したいというお話でした。
その時にとても自分の中になんとも言えない感情が湧いていたことに気づきました。

話し終わったあとしばらくたって気が付いたのですが。

やっぱり先生支援の仕事って大事なんじゃないかな。

私は先生の支援をすることで、「希望」の向きをちょっと変える手伝いをしたいのではないかと思いました。

先生になるような方は先生という職業に「希望」をもっている人が多いです。その希望は、忙しさやシステムによって打ち砕かれていってしまう。

私自信を苦しめたのは、教員の優劣思考でした。
「私はできる先生でなければならない」
「できる先生になれなければ、周りから評価されなくなる」

じゃあ自分はどんな先生になりたいのか。
どこに希望をもっているのか、それを言葉にすることができたら、
少し楽になるのではないかと。

その伴走を一緒にしたいのではないかと思ったのです。


半年、自由に活動させてもらった私の今のところの現在地。
じゃあ私に何ができるのか。
これから考えていこうと思います。


長文、お読みいただきありがとうございます。
貴重なアウトプットの場でした。

お感じになったことがあったら、コメントいただけると嬉しいです。


では、次回は不登校記事かきます。

つながって学ぶ
「きときとの杜(もり)」



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