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学校は変われるのか?

以前勤めていたところで、新一年生の中に自閉的な傾向の強い子がいました。

教室には居られるのですが、体育館がダメ。

特に音が苦手で、マイクを通した音が大きくて苦手。

「うるさい」と言って体育館から出て行ってしまいます。

運動会の練習となると、基本は1番最初は学年で体育館でマイクを使って学年指導です。


今まで、幼稚園や保育園にいて、大きな体育館で大きなマイクを通した音。

苦手が爆発します。


その時、私たちは
どうしたら居られるか?を考えます。

イヤーマフをするか?
どこか安心できる場所で見ているか?
その子だけ時間を短くして限定的にするか?

どうしたら居られるのか、いろいろ考えるわけです。

でもこれっておかしいんじゃ?

どうして子どもの側にだけ工夫をするんだろう。どうして、子どもへの手立てだけを私たちは考えるんだろう。


逆はできないんだろうか?

マイク使わないで全体指導をすることはできないのかな?
体育館ではなくて、教室でみんなで練習してから集まったらどうかな?
そもそも体育館の表現活動はみんな揃ってなきゃ行けないのかな?

私たちが思っている当たり前、やりやすさ、そんなものをチェンジしてみることはできないだろうか?

子どもに手立てをする前に、子どもを変化させる前に私たちが変われることがあるのでは?

そんなことを思ったのをおぼえています。


インクルーシブ教育が言われて随分経ちますが、
学校は未だに、「特別な子どもに特別な配慮を」というところから抜け出せないように思います。

誰もが過ごしやすくて、学びやすい学習環境を。簡単ではないけれどここでも
「子どもへのまなざし」
で私たちがチェンジする必要を感じました。


自分が信じた世界から自分を高める
共に学ぶ舎「HAG」

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