聖者は語らぬやも
こんばんは。ちゃたすけです。
今日は、本当に目覚めた人は語らないかもよって内容です。
私の意識ですが、あっちとこっちを行き来できるようになってます。
あっちの意識になると、自分がとてつもない大きな雲になったような、無限の大きさになった感じで、とても心地よく暖かいんです。
なので視点を定めるものの見方よりも、ぽやーんと物事を眺めて、言葉ではなく、その奥の感覚で受け取り、話すような感じなんです。
この世界のどんなものも形がなく、意味がないので、言葉で伝えることの無意味さを知るというか...実際なにも存在してないんだなって。
でも、この意識状態って実生活無理なんですよね笑
なので普段は便利な従来の私にお任せしてます。
一つ違うのはそれが私でないと知ってることです。
私でこれくらいなので、たぶんなんですけど、本当に目覚めた人はとてつもない至福と一体となってるので、この世界に働きかける必要性を感じないんだと思います。
なので、真に目覚めた人は表に出て来ないのではないかと。
ただただこの世界の完全なる調和に感謝して、自己の生命の意味を知り、静寂と至福の中に生きてるんだと思います。
イエスキリストとか、ブッタとか、いわゆる目覚めた人で伝道をされてる方は、おそらく魂の選択としてそれを使命にされてきたのだと思います。
ちなみにひよっこですが、おそらく今の私の役割もそうなのだと思います。
意識の変遷を文字としておこすことで、誰かの意識変容の道標になればと願っています。
今日もありがとうございます。
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