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死の恐怖ってあるんだな〜

こんにちは。ちゃたすけです。

今日は死の恐怖について書きまーす。

悟りの境地の手前って、まだ自我があるのでゆらゆらします。

結構最終段階まで仕上がってきたのかなーなんて思うことがありまして。
これはぜひとも書き残しておきたい。

悟りの手前だなーっていう合図が、消滅を予期した自我の恐怖心なんですって。

つまり、死への恐怖です。

多くの人は肉体の死の間際に訪れると思うんですよ。

それを生きながらに味わってます笑

いやー怖い怖い。
自分がただの意識で、全てが幻なんだと腹落ちしてるからこんなもので済みますが、順当に(?)生きてたら、気が狂っちゃうんじゃないかな?

死の恐怖をまじまじと味わわずに、くだらないことでぴーすか言ってた頃が懐かしいです。
それは自我さんが巧妙に隠してくれてたおかげですね...。

自我さんが大暴れしてたおかげで、死の恐怖を味わうくらいまで意識を高めることになったとも言えますが笑

まあそれは置いといて。

一昨日読み終わった本の中に、たまたま自我の死について書いてあって、「へぇ〜こんなのあるんだな〜」くらいだったんですよ。

でもそこに、“この内容は読むべき準備が整った人のもとに訪れる“みたいなこと書いてあって。

へ?こんなにこの世界を作った誰かは優しいのに、いったい何のことやら?って感じだったんですが...

なぜに私が死の恐怖を感じてるかというと、ワンネスなんだって気が付いたからなんです。

私はあなた、あなたは私。
その辺のゴミも、鳥も、木も、全部わたし。
そしてこの世界を作った誰かは私であり、私はその誰か。

全てにその誰かの力が宿らないと、この世界は存続しないんですよ。

つまり、その誰かの意図次第で、この世界は崩壊するし、繁栄もする。
私の肉体の生命が作られたとき、その終わりも意図されてる。

だから、今日生きてるのは奇跡なんですよ。
その誰かさんが、なぜだか分かりませんが私を生かしておこうと決めてるから。

自分の拡大のため、生かしておこうと。

その誰かは私でもあるので、肉体の死は実は幻で、怖いものではないんですが...
その誰かさんと一体の意識になると、恐怖も吹き飛び、私の死も完璧だなと感じられるんですが...

自我の意識がまだまだ色濃いと、きっととてつもない苦しみなんだと思います。
そう思うと私の場合は段階を踏んでくれてる気がするので、かなり甘やかしモードなのかもしれません笑

だってわざわざ本の中に、「死ぬ覚悟決めとけや?そろそろやで?」って教えてくれてるんだから。

ありがたいことだなと。(それでも怖い!笑)

大切な人の命がなくなるのは怖いです。
そして悲しい。
大切な人が悲しむのも辛いです。
自分が死ぬのは怖いです。
そして、家族を悲しませるのも辛い。

でも、仕方ないんですよね。
それはこの世界を作った誰かの意図。
それはそれをもって完璧なんです。

今更もがいても、抵抗しても無駄なので、諦めてこの悲しみに身を委ねています。

私を今日も1日生かしてくださった誰かに、心から感謝しています。
そして、家族がみんな無事なことも。
みんなが今日命があることが嬉しい。

私たちはきっとこの世に生を受けたことが最大の幸福なんだと思います。

その日は明日かもしれません。
明後日かも。
それは避けようもないのです。

これを聞くと、明日死ぬならもっと頑張らないと!って思考になりそうなもんですが、私はそうは思わないのです。

私らしく自然に、意図された通りに消えていく。

それが私ができる最善な気がするんです。

今日もありがとうございます。

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