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知らないからこそ進む勇気を。

こんにちは。ちゃたすけです。

また一つ気づいたことを書いていきます。

苦しみの原因は知ってると思い込むことにあるのだと思います。

過去という膨大なデータを元に思考し、感情を使い、マインドが望む未来に向けて、今に投げかけます。

その元となるのは、私たちは原因を突き止めることができるし、どのようにすればよいか最善を知っているという誤解です。

誰かと争うとき、過去のデータと比較し、私は奪われたという認識が生まれ、怒りを生み出します。(このプロセスは今までの信念がどのようなものかに依存します。)
そしてそれに抵抗することで、奪い返せると信じてしまうのです。

果たして真実はそうでしょうか?

誰かは本当にあなたから奪うために行ったのでしょうか?
そして本当にあなたは奪われたのでしょうか?
その結果はあなたの思う通りになりましたか?

おそらくマインドはYESと答えるでしょう。
ですがそれはマインドが認知できる範囲でのことです。真実ではありません。

私はこの間散歩に出かけました。
その日は既に曇り空で、予報でも午後から雨だと予想されていました。

近くのスーパーに寄り、買うものがあったのですが、いつもの散歩コースのまま進みました。
天気が悪いので早めにスーパーに寄って、買い物を済ませた方がよいかな?と思いましたが、なんとなくいつもの遠回りの道を進みました。

するとやはり雨が降ってきたのです。

“あー、やはり先にスーパーに行き早く帰ればよかった。”

普通ならこう考えますよね?

公園をお散歩してたわんちゃん連れの方たちも、そそくさと帰路についています。

そこで私はこう思ったんです。

この先雨が強まることを、私はなぜ知ってるんだろう?と。

確かに予報はその通りです。
ですが、予報は予報でしかなく、結果は私が家に着くまではわからないはずです。

道半ばで雨が降り出したことにガッカリする気分の方が損なのではないか?と。(本質的にはガッカリ気分に損も得もありません。)

いつも通りスーパーに寄って帰ろう。
傘も持っていないのだから濡れるならそれでも仕方ないなと。

結果はどうだったかというと。

雨は止みました。
少し降られただけで済んだのです。

たったこれだけの事ですが、私のマインドが如何に真実を知らずに私の気分をコントロールしてるのか目の当たりにした気がします。

このような気づきを腑に落ちさせてくれた事は、私にとって恵みのようです。

たった雨が降る降らないのことですが、あのとき行動を雨が降る予想にしていたら、家に帰って雨が止むのを知って、なんだいつもの散歩をすればよかったと“本当にガッカリ“になっていたかもしれません。

つまり、長年抱き続けたマインドの信念通りの結果になるところだったのです。
それはつまり”私は損をする。”という信念です。

私たちのマインドは何も知りません。
そこで判断せず、自分の志を淡々と生きれば良いのだと思います。

今日もありがとうございます。

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