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日向坂文庫2021#11(森本茉莉×絵空ハル『神楽坂愛里の実験ノート』)

noteを開いていただきありがとうございます。
ちゃすいです。


今回は森本茉莉さんが表紙となる絵空ハルさんの『神楽坂愛里の実験ノート』の感想について書いていきたいと思います。


まず主な登場人物は以下の通りです。
・神楽坂愛里:東央大学大学院の1年生。努力の重要性を信じてやまない。
・福豊颯太:東央大学の4年生。他人を不幸にしがち。


この作品は、努力は何事にも勝ると考え日々実験など研究に明け暮れる神楽坂愛里(以下愛里)が、その周りで起こる事件をその推理力で、解決していく物語になります。

その際、周りを不幸にすることで定評のある福豊颯太(以下颯太)の行動により犯人に不幸が当たり、犯行計画がずれたり、颯太自身が早とちりしたりと、事件にかかわっていきます。


なお、この小説には2つの話「真夜中のパイドパイパー」と「賭博師のラブシュプリマシー」がありますが、どちらから読んでも十分楽しむことはできますが、個人的には「真夜中のパイドパイパー」を読んでほしいと思います。

というのも愛里の科学への情熱というものを感じることができるからです。

「事件が成功したとして、お金になったとしてもあたしらにお金が入ってくるわけじゃない。論文の隅っこの方にアクナレッジメント(謝辞)として小さく名前が載るだけじゃない。金を得るのは須藤教授とその近辺の人間だけよ」

という楓の言葉に対して、愛里は「学生の研究とは誰かの役に立つものであり、また努力したという経験を得るのがその中心にあり、それこそが人を成長させるもの」であると反論します。

確かに学生の研究にはお金は入らない。
学生によっては所属する研究室の教授が行っている実験のお手伝いがメインになるのかもしれません。
しかし研究の過程で得た努力したという経験、どうやって研究を進めようかといった計画立てから、実際の実験に必要なや知識や技能といったものが得られること、そしてなにより時には徹夜をして、研究室にこもって研究をして結果を出したということこそが学生の得る至高の物であると。


この作品は筆者である絵空ハルさんが学生時代に書かれたものということなので、もしかすると自身の想いをこの作品に投影されているのかもしれません。

勝手な憶測ですが、絵空ハルさん自身が研究に行き詰まったり、何のために研究しているんだと悩んだりしたものが描かれているのではないでしょうか。


以前基礎研究に力を入れない日本の現状を憂う言説がありましたが、もしかするとそういったものともリンクしているような気もします。

楓の言葉に学生はいくら研究してもお金は入らず、大学は就職のための予備校でしかないといったものがあります。
この考えにはお金が入ること、就職してお金を手に入れる手段を確保することが最重要であるといったことがベースにあると思います。
これはまさに基礎研究にお金を出さず、儲けることのできそうな分野にのみお金を出す日本の現状への批判とも読めそうです。
またお金を得ることが重要という、ある種の価値観が世間を占めていることへの批判であるような気もします。

じゃあどうすればいいんだと言われれば、なんの考えもないのが現状ですが。



とまあここまで憶測中心で色々書いてきましたが、この作品の見どころを紹介して終わりたいと思います。

それが愛里と颯太の恋の行方です。
颯太に興味のなさそうな愛里と、思いを伝えられなくても愛里が幸せそうならそれでいい、という感じの颯太。
颯太が気持ちを伝えようとしないことへもどかしさを感じると同時に、なんとなく伝えきれないことに共感してしまいます。
近くにいるらこそ気づかない何かがあるのかもしれませんが、2人が結ばれる日が来るのかなとひっそりと期待したいと思います。




最後までお読みいただきありがとうございました。

次回も読んでいただけると幸いです。

それでは失礼します。


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