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無限大の選択肢の中から、まずは風船を選んで膨らましてみよう

「君たちには無限の可能性がある」

そんなフレーズをきくと、自分の中のポジティブさと楽観主義が目を覚ます。
プロ野球選手、芸能人、近頃であればYOUTUBER。
すべての人間にはあらゆるものに成りうる可能性があって、自分自身の努力次第でなんにでもなりうるのだと。
子供の頃の自分は胸を高鳴らせた。
その胸の鼓動はいまだって、体のどこかには残っている。

ただ、30歳も過ぎてしまえば凡人な己が嫌が応にも目に入る。
あのころ無邪気に思い描いていたヒーローに自分がなれたかと言えば、もちろんそんなことはない。
でも一方で、このごろ「制限の中で切り開く可能性」に目を向けることが楽しくなってきた自分もいる。

今回はそんな現実的だけど、楽しい気づきをお話できたらと思う。

無限大の可能性の主成分

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小学校に入る前、父に録画したアニメを見せられた。
それが巨人の星だったものだから、小学生になったら野球をはじめてプロ野球選手で活躍するようなピッチャーになりたい!と思っていた。
ただ、野球をはじめてみれば、とんでもないノーコンで狙ったところにボールは投げれない。走るのは速い方だったので、外野手になり、そろそろ試合に出させてもらえるかなーと思っていたら、空前のJリーグブームが到来して野球部自体が消滅。もちろん野球部が続けられていたとしても、ほんの一握りの人しかたどり着けないプロの世界までにいくらでもハードルはあるし、プロになったとしても厳しい世界だということは、さすがに大人になればいやでも思い知らされる。

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無限の可能性というのは、とどのつまり夢や幻だ。
まだ確定していない未来に向かって希望をもって、己の選択肢を探る上ではとても役立つ言葉だ。
自分自身の狭い価値観にとらわれず、様々な方法を模索して、目指すべき未来に自分を近づけていくことは、知識をベースに様々なシュミレーションを行える人間ならではの能力とも言える。
ただ、この可能性を額面通りにうけとめれば、都合の良い妄想にだってなる。

毎年宝くじで1等が当たり続けたら…
アイドルとちょっとした出会いで付き合うことができたなら…

そんな極端な例でなくたって、都合の良い成功を夢見て、思い切った選択をしてしまい後悔するなんてことは日常茶飯事だ。
無限の可能性を想うとき、人は自分にとって都合の良い可能性ばかりクローズアップしがちだ。
車に突然轢かれるかもしれないし、大きな病気にかかるかもしれない。
そういった可能性だって、無限大ルールの元では無限大に膨れ上がる。
それはそれで、心配ばかりしていても健全ではないのはたしかだけど、可能性だけで言えばいくらでもマイナス面だってある。

結局の所、無限の可能性は「実現できなかった未来の全て」だとも言える。
あれもこれもと掴むことを夢見て、夢を叶える可能性を積み上げなければ、その手は夢にカスリもしない。
それは個人事業主として社会に出ると、痛切に感じられる部分だ。

確かに仕事をしながらネットフリックスを見る自由も得られるけど、ネットフリックスを見ながら仕事で成果を上がられる可能性はどのくらいのものか…。
そんな天秤に自分の行動を載せながら日々を送っている。

有限な時間の中での行動から夢は育つ

店舗外観

2年半ほど前に小さな文具屋さんをはじめた。
自分のお店を開きたいという夢を、現実のものとして選びとることを決断したことになる。

家賃の高い駅前の好立地で、従業員もたくさん雇って、オリジナルの文房具を次々に展開して、日本中にお店を展開する・・・なんてことは考えもしなかった。
友人のカフェと同じ階に、6坪の小さなスペースをおかりして、いまのお店は走り出した。

自分に都合のいい夢はできるだけ振り払って、小さく小さくはじめたこのお店は無限大とはほぼ遠い。制限だらけの中にある。

制限はお店をオープンしたあとにも増えていった。
近くにオープンの翌年に完成するという電車の駅は完成まで3年延期になったし、はじめに売ろうとしていた収納ボックスは、狭いお店だとスペースを在庫が圧迫する上に配送料もバカにならないことを思い知らされた。

でも、お客さんが来にくい立地だからこそ、尖った商品のセレクトに力を入れられた。
ネットで商品を販売しなくてはならないからこそ、noteで情報を発信することを武器として磨いてきた。
オリジナル商品を作るコストに思い悩んだからこそ、取引先のメーカーさんと相談しながらクラウドファンディングに挑むことだってできた。

結果としては、無限大の夢から離れて小さく選択したことから、お店を開く前に描いた無限大の夢に近づいていけているような気がしている。

それは、世の中の仕組みを少しずつ実践の中で知りながら、こうやれば意外とうまくいくんじゃないかという道を愚直に探し続けてきたからじゃないかなと思っている。

昔に読んだ本の中で、有名なディズニーの会社の仕組みとして「3つの部屋」という話があったのを思い出す。

第1の部屋では、本当に自由に制約なく、批判も出さずにアイデアを自由に発言していく。まさに無限大の夢を語る場だ。
第2の部屋では、第1の部屋で出たアイデアを冷静に整理し、筋書きを時系列にまとめたり、キャラクターの人物像を詰めていく整理の場。ここでは、夢が実現可能になるためにはどのようにすればよいのかをしっかりと組み立てていく。
そして第3の部屋では、本当にできるかどうかのあら探しを行う。現実に出て大きな痛手をうけるまえに、ここまでに出してきたアイデアの実現可能性をしっかりと批評することで、取り組むに足るアイデアなのかを判断していく。

この3つの部屋はおそらく、どれがかけても成立しない。
だいたんに夢を語り、その夢が実現するためにはどうすればいいのかを計画し、本当に実行にうつすべきかどうかをしっかり問う。

無限大の可能性を想うことは、全ての出発点になりうる。
それと同時に、全てを叶えるためには時間もお金も有限であることを認識しながら、自分自身がどれを叶えるかを掴み取る必要性があるのだろう。

どの風船に息を吹きこもうか

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個人的に、可能性というものは風船のようなものだと自分はイメージしている。

無数の選択肢の中から、自分の選び取った可能性は、自分で息を吹き込まないと膨らむことはない。
もちろん、どの風船が自分にあった風船なのかはわからない。
1つの風船だけに膨らませていたら、それが割れた時に危ないから複数をふくらませるなんて判断もありだろう。

でもいずれにせよ、それは息を吹き込まなければ膨らまない。
膨らみ具合に「こんなはずじゃなかった」と思うかもしれないし、「もっといい膨らまし方があるかも」と練習するかもしれない。
ちょっとした影響で割れてしまうかもしれない風船を時に守り、時に膨らまし、または少しずつしぼむことに涙するかもしれない。
なにより絵本やアニメのように空を飛べないことにがっかりするかもしれない。
そして、専用のガスの存在を知って、たくさん集めたら空を飛べるかも・・・なんて模索するのもありだ。

でも、まずはその風船を膨らませて、その足で歩いていく日々には、きっと意味があると思う。

こんな楽観的なような、現実的なような、どこかの3つの部屋のようなお話があなたのお役に立てば嬉しい。

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