下流志向読書感想文

小さい頃から漠然と「いい人間」になりたかった。
「いい人間」って?優しい人?唯一無二のスキルもっていること?
考えてもよくわからず、与えられた勉強をこなしていた。

本書が指摘する若者というのは私の世代付近のことであろう。

私はどう学んでいたのだろうか。
我が家では、学ぶことは生活に必要な食事や寝床を得るための対価であった。勉強をし、成績をあげることが生活し続けるために必要だと感じていた。医学部にいった最大の理由は金銭的な報酬が確実に得られると思ったからだ。

私は明らかな逃走はしなかったが、本書の示す消費主体としての等価交換の理論が学びの理由に当てはまっていように見える。たまたま等価交換する有用性があると判断していたのだ。その有用性とは、自己責任の名の下に不利益を被ることへの不安を解消できる意味合いもあった。そしてその学びは「いい人間」になるための選択だと思っていた。

私は精神科医になった。「いい人間」になる方法はまだわからない。

担当患者に希死念慮を抱えていた少女がいた。ある日彼女は「何のために生きるのか」と私に聴いてきた。曖昧な答えを返す私の姿をみて彼女がどこか嬉しそうな表情をしていた事を思い出す。本書に照らし合わせると、生きる事さえ消費主体として等価交換をする対象だったのだろうか。

学ぶこと、働くこと、それらはどう生きるかという事に直結している。
ならば本書の学びへの理論の中に、私の「いい人間」になるためのヒントがあるのではないか。では本書が示す、「時間というダイナミズムの中で得られていく学び」とは何なのだろうか。

精神科1年目の頃、ある女性が外来で悩みを語っていた。その悩みに対してわかったような解釈をする私に、「あなたの見ている世界で私の苦しみを理解しようとしないでください」と彼女は怒った。私は私の価値観によって、彼女ひいては彼女が感じる世界を解釈しようとしていたのだという事に気づかされた経験であった。そこから彼女とは外来で7年の付き合いとなった。

本書は学びにおける大事な要素として「自分の解釈をカッコ付きにし、外部への開放性をもって未知を受け入れていくいこと」と述べる。未知をありのまま受け入れること、それはコミュニケーションにおいて「他者性の尊重」という言葉に置き換えられる。これは対話の基本的な原理である。また良き対話は筆者がリスクヘッジのために必要と語る相互扶助を作り上げる基礎ともなるものである。

私は今も「いい人間」になりたい。
本書が示す「学び」の在り方、つまり時間というダイナミズムの中で自分の度量衡で解釈をせず未知にひらかれ続ける事、それが私の「いい人間」として生きる1つのヒントなのかもしれない。

その学びを実践ができているとは言い難い日々だが、死ぬ前に「いい人間に少しなれた気がする」と思えるよう生きていきたい。そう思った。

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