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長くまがりくねった道13 事件 裁判

CRMディレクターをなんとか実現しようと苦戦しながら、一方で兼任でテレマーケティングの部署の部門長も担当することになった。この時期、私がおかれていた状況はお話しした通りだが、CRMの営業体制を作り上げるために戦っていた一方で、兼任での部門長を務めるなどということは、正気のさたではないと思うが、その時の私はすっかり自分にその使命があるのだと思い込んでいたため、平気で受け入れた。テレマーケティングの部署がCRMという名前のついた部署であったため私にその役割がまわってきた。それだけ、社内にCRMを理解している人間がいなかったということである。そんな時期に事件は起こった。

仕事をしていて裁判沙汰に巻き込まれることは、業種によってはよくあることかもしれないが、私の勤めていた会社では起こらないことであった。会社に勤めていると、もめごとが起こるのは日常茶飯事だが、会社全体に影響を与えるようなトラブルは何年かに一度しか起こらない。そして、後に大きなトラブルとなる事も始まりはいつも通常とはちょっと違う「違和感」から始まる。のちに裁判沙汰となったこの経験もそうであった。2006年12月、当社のテレマーケティングの部署は神田に事務所があり、私は埼玉と神田を行ったりきたりして管理を行っていた。テレマーケティングの電話関連の作業のほかにキャンペーンで使うプレミアム(賞品)の発注に関しての業務があった。J社ワールドコレクションという、航空会社のマイレージクーポンを景品に交換するキャンペーンが何年か継続しており、景品の中に「松坂牛」の肉があった。当時景品の提案の段階から取引先である通販会社Bと検討を行い、景品の決定となった。B社は当時航空会社担当の営業部長がテレマーケティング部に紹介してきた業者であり、通販会社としての力もある程度まで持った業者と思って発注していた。12月に入り、顧客からの注文が増えてきた矢先に、プレミアム賞品である松坂牛が欠品するという報告を通販会社から受けた。最初は言っていることが理解できず、何故?まだ始まったばかりなのにそのような事が起こるのか?このキャンペーンは航空会社という当社にとっての重要得意先である会社の、マイレージを多くもっている最重要顧客からの注文であるものが欠品するということの重大さがわかっているのか?当然、通販会社の担当だった営業マンに問い詰めたが、結局欠品がおこりはじめた。すると、問い合わせ先にしていた電話がパンクするほどの受電があり、クレームは航空会社本体にも入る事となり、至急対策を練らなくてはならなくなった。そこで、通販会社B社側で急遽40席のコールセンターを設置しクレームの受電と、注文があった顧客へのお詫びの発信をするコールセンターを同時に設置した。その間に欠品してしまった松坂牛にかわる代替品として。A5ランクの黒毛和牛を用意するという提案を通販会社から受け、そちらへの代替を顧客にお願いするという施策をうちはじめた。当時は世の中から牛の肉が消えてなくなったかのような錯覚に陥るほど、牛の肉が手に入らなかった。コールセンターが設置された岩槻駅前にあるビルには当社の社員がつめて、コールセンターでのクレーム対応にあたった。一方で、航空会社側からは迷惑をかけた顧客には9500マイルを返還するという驚くべき施策が提示された。問題を起こした当社側でそのお金を持てという要求だったが、さすがにそんなものをのめるはずがない。もう、得意先との間の信頼関係も、発注業者である通販会社との信頼関係も決定的に破綻した。この騒ぎの中、通販会社から突然コールセンターを中止するという通達があり、度重なる裏切り行為に愕然とした。つまり、トラブルが長引くと経費がかさんでしまうからということだ。さらには代替品のA5ランクの黒毛和牛の提供価格を後出しで値上げ要求、さらには今後の発注には応じないという通達があった。まさに四面楚歌。

年末にいたり、コールセンターを当社側に移管、肉の発注も別業者に発注という事態になった。このように、契約を結んで発注をしてきたものを提供できなくなるだけでなく、居直ったように反撃してきた通販会社B社という会社の体質にあきれはててしまった。挙句の果てに、この発注に関連して、通販会社B社側から支払を要求する民事訴訟がおこされた。当社において取引業者との間で裁判沙汰になったのはこれが初めてだったと思う。東京地裁において裁判が行われ、私は証人として陳述を行った。長い会社人生の中で初めての事だ。裁判までの準備期間、陳述書の作成にあたって、弁護士事務所で何度も打ち合わせを行い、裁判というものの大変さを思い知った。そこで初めて知ったのだが、民事裁判は大抵の場合裁判長による和解が提示され、判決によるいわゆる勝ち負けとなる場合は少ないようだ。裁判官も自分の経歴の中で判決まで行ってしまうことを避ける傾向がある。それは裁判官の保身でもあるとの事がわかった。結果、この裁判も和解となり通販会社B社に対する支払はある程度までリーズナブルなもので収まった。

 

この仕事で学んだことは、仕事をする上で外注発注することは多いが、発注先に関する選定や管理というのが、まだまだ甘かったという事だ。事件化してから分かった事だが、通販会社B社という会社は業界でも評判が良くなく、本来相当注意して取引を行わなくてはならない相手だった。それを大手のデパートやプレミアム業者と同じように扱い、重要得意先の案件で使ってしまった事がこの事件を引き起こした遠因にある。通販会社を発注先に選ぶにあたり、営業的にもしかしたらこの発注をきっかけに当社に仕事を受注できるのではないかという下心が無かったと言えばうそになるだろう。外注先の会社が自分たちの失敗を得意先である当社に対して居直って反撃してくるなどということは、考えられなかった。ここに、現在でも同様の危険をはらんでいると思われる当社の甘さがあると思う。そしていつの場合でもそうだが、社内で責任ある立場の役員などはさっさと逃げてしまい、混乱の渦中には最前線で戦う担当者や部門長が取り残される。そして、こんなに大きな事件になったにも関わらず、偉い人は誰も処罰をうけなかった。また、私は民事裁判の証人となったのは人生の中で初めての経験だった。裁判というからにはどちらが勝つかの勝負のようなものかと思っていたら、実は弁護士という専門家による法廷闘争というビジネス対決であるということ。本当に勉強になった。

このような事件に巻き込まれている間も、私が進めようとしていたCRMの営業体制をつぶしにかかる動きは止んでいなかった。しかし、私がこの事件にまきこまれていた約半年の間は、手の出しようがないため私を排除する動きは止まっていたかに見えた。


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