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長くまがりくねった道3 イベント編

イベント事始め
イベント事業に一般企業がスポンサードしていくことが一般化していったのは1970年代後半からの事だろう。当時イベントの演出や運営業務の専門家というのはまだおらず、経験として近い仕事をやっていた人たちが広告代理店に集まってきて仕事をしていた。新しい分野であるので、何かやらなければならない事があったとき、「はい!うちがやります」と言って手をあげたところがその分野の仕事をその後続けて事業として担当していくような時代である。過去にテレビの創成期にあったような仕事の成り立ちであった。



1979年東京国際女子マラソンで、私が経験したのも、最初は女子マラソンが国際競技場から出発した後、ゴールに帰ってくる2時間ぐらいの間に国際競技場で行われる「ジョギングフェスティバル」というイベントの仕事であった。当時まだ馴染みのない「ジョギング」という言葉もこのイベントから生まれた。化粧品会社S社がスポンサードして始まったこのイベントは新しい女性の美に対するコンセプトが示されたものだった。この仕事では初めての事だらけであったが、その証拠として一つの伝説が残っている。それは広告代理店のプロデューサーがスポンサーへの提案の準備時間が全くなく、企画書を作成しないで「口頭」でプレゼンテーションを行い、企画を決めてしまったというものだ。そのイベントでスポンサーからのプレゼントで入場者の中から賞品であるトレナーなどの抽選をしなければならず、プレミアムキャンペーンで抽選の経験があるので私のいる会社が選ばれたのであった。入場者の数に応じて当選者の数を配布した入場券の番号で下○○桁という形で抽選をしていった。
初めてのイベントで、どのくらいのメンバーを用意して運営をすればよいのか?もよくわからない中、第1回は前日雨天で翌日の実施が危ぶまれていたため、我々は半分中止になることを考えながら前泊して待っていた。ところが、当日の朝予想に反して実施するとの決定がなされ、あわてて準備に入った。抽選会を行うにあたって、当選番号を決める箱をあやうく忘れるところだったり、ドタバタでなんとか乗り切った。
イベントは当日何があっても進行しなくてはならないという経験も初めてであったが、一度経験するとその興奮は麻薬のように私たちをとりこにした。広告代理店の人たちとスタッフとして一緒に働くことも新鮮な経験であり、その後今にいたるまで会社ではイベント業務を継続して受注している。
その後、様々なイベントを経験したが、1985年に開催されたつくば万博のような国のイベントにもかかわった。開会式に関するBIPの招待状の発送から始まって当日の会場での受付業務まで、会社の社員を動員して実施をおこなった経験もした。これらの仕事は、ダイレクトメールを送る仕事ともプレミアムキャンペーンの受付抽選の仕事とも全く違うジャンルの仕事であり、刺激的な仕事であった。

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