無価値観の囚われの身から離脱
昔から確実性とか真実とか拘る傾向があり、周りから、神経質、考えたってしょうがないとかよく言われていた。
自分はおかしいのか?と思っていた。
今思えば何を中心に考えていたのか、確実性はなかったが、深刻に考える自分も満更嫌いでなかった。
それは世の中のルールや道徳と言うものに縛られていた為に、自分の感情と思考がバラバラになっていたからだった。
常に品行方正にと思っていた自分は、そうでない自分を責めていた。
社会に従順そして周りに気を遣い過ぎて、自分を蔑ろにし生きていた。
それは何か罪悪感が潜んでいて、何故自分をそんなふうに蔑むのか分からなかった。
そんなわけわからない状態の苦しみから脱出しようといろんなことをやってみた。
そして次第に自分の中に得体の知れない怒りがふつふつと煮えたぎっていった。
妥協は必要、誰かが言った。
確かに、時代や社会の流れに沿って深刻に考えず生きれば楽なんだろうなと思うが、それは魂としては赦し難い事だったのだろう。
妥協ができないのは、世界が幸せでなければ自分は幸せではない。
なんかそんな壮大なことを感じてた。
そして、自分が幸せじゃなければ周りを喜ばす事が出来ないと理解した時、
あーそっかー!
と単純な解答だった。
子供の頃から読んで来た絵本や童話は、優劣関係の話で、貧乏人や弱い者や優しい動物達が不幸な目に遭う物語。
だいたいが最後はハッピーエンド、または死んで天国で幸せに!というパターンもある。
しかし、現実はいくら努力してもハッピーエンドにはならないように感じた。
数年前、罪悪感や無価値観を植え付けられた!と知ったら、目の前がパーっと明るくなった。
人間のDNAにはなんちゃらかんちゃらという壮大な宇宙の話、
そう自分を変化させてくれたソールメイト達との出会い、
待ってましたとばかり感情が暴走。
長い歴史の間じゅう人間はコントロールされ続けていた事に、やっぱり!と。
浄化が始まり、それは止まらなくなっていった。
戻ろうとしたり、止まろうとしても、自分の何かがそれをさせない。
自分を赦し、自分は素晴らしい魂の持ち主なんだと思い出す為に。
自分を磨いていく旅に終わりはなく永遠を前を向いて歩き続ける。
価値観が分離している世界だが、それに拘っている暇はない。
お花畑と言われ易いにスピリチュアルだが、今この時、現実をスピリチュアルに生きるようになるんだな〜