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「×××」と言わないわたしたち

Where are you from?
中学一年の英語である。
これをなんと訳すか。
 
「あなたはどこ出身ですか」
 
これで、中学校の試験では問題ない。マル。
しかし、違和感がないだろうか。
 
現実に、目の前にいる相手に対して、初対面で名前がわからないとしても、
「あなたはどこ出身ですか」と問うだろうか。
 
How would you put it in Japanese?
(日本語ではなんと言いますか)
 
おそらく、
「ご出身は?」
あるいは
「どちらから?」
 
こんなものではないだろうか。
 
何が一番問題なのかというと、
「あなた」である。
日本語では、対面の会話において「あなた」と呼びかけることはほとんどない。
 
……いやいや、「あなた」は普通の日本語じゃないですか。使いますよ。とおっしゃるそこの「あなた」!
「あなた」が登場する場面を思い出してみてくださいな。

・外国語の翻訳(こなれた翻訳ほど「あなた」は避けている)
・文章(「あなた」を心に思い浮かべて語る一人称小説など)
・歌詞(声には出すが、文章・文学作品の仲間)

……ね。かなり限定されてくるでしょう。 


※本記事は素人によるうすぼんやりした所感記事です。専門性は求めないでください。
 

日本語って……? ある特徴

なんでいきなりこんな話、というと、最近↓の記事を目にしたのだ。

「パワハラ」が日本語のせい、というのはまあキャッチ―な記事タイトルをつけたかったんだねー、という感じだが、私はわりとこれ当を得た話だと思う。

 日本語とは、相手を自分よりも上の人間、強い人間と見るか、自分よりも下の人間、弱い人間と見るか、つまり上下関係、強弱関係を抜きにして相手を対象化することができない言語なのであり、日本人は日本語を使っている以上、目の前にいる人間のことを「自分と対等な基本的人権の主体である」という見方に立つことがなかなかできない

なぜ日本からパワハラがなくならないのか…「フランス語を生きる」文学者が気づいた"日本語の限界" 「上下関係」「強弱関係」を抜きに使えない言語である (3ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

言い過ぎじゃね? と反発したくなるが、いやいや、言語を通して我々は思考する以上、一笑に付すべき話では少なくともない。
 
(※引用した記事の中では森有正の名が出てくる。もしやと調べてみたらビンゴ、森有礼の孫だそうだ。
森有礼(もり・ありのり)は例の「日本語廃止論」の御方である。このへん詳しいことはちゃんと勉強しないとなんとも言えないんだけれども、そういった背景のある人物なのだな、ということは押さえておいていいだろう)
 

「あなた」論あれこれ

さて、日本語が「上下関係」を抜きがたく含んだ言語であるとして。
(いちいち断るのは面倒だが、ある言語の「特徴」はその言語の「優劣」とは無関係、別次元の話)
「あなた」とはどんな語なのか?
 
こんな面白い記事もあった。↓↓

「本来、「あなた」は対等、もしくは目下の相手に使う言葉」
なるほど。
いや、むしろ対等な友人関係では使わないのでは?
「〇〇ちゃんはさ……」みたいに言うはずだ。
「あなた」は対面での発話でほぼ失礼に当たる気がする。
 
ざっとしか見てないけどこれも面白そう。↓↓

http://www.decode.waseda.ac.jp/jeles/archive/llel05-2019/llel05-2019-001-007.pdf

「日本語には“I”と“you”に相当する語はない。日本語にあるのは,具体的な役割や人間関係を含意する多様な自称詞,対称詞である。」

英語のyouは、相手の地位関係なく使用できる。一般人でも大統領に向かってyouと言ってよい。てか言うしかない。英語はyouなしでは夜も日も明けない言語である。
一方、日本語の「あなた」は対面でまともに使用できる場面が極めて限られる。総理大臣や天皇に向かって発話することはできない。会社の上司や学校の先生相手にすら使えないのである。あえて使うとしたら「ケンカ腰」の時くらいだろう。

それが対等な人間関係を形成しづらい原因だとか、パワハラとか悪政の放置につながるとかは軽々には言えないが、日本語の「あなた」はyouではない、というのは確からしい。

「あなた」はどこから来ましたか

山のあなたの 空遠く
「幸」住むと 人のいふ……

「山のあなた」カール・ブッセ 上田敏訳

カール・ブッセの有名な詩(の日本語訳)。
中学生のころは「山にいるあなたは空遠く、??」ってなってたが、
この「あなた」は人ではない。「彼方」「あっちの方」である。
遠く。向こうの方。
「あなた」は「彼方」の転用であり、語源的に「あっちにいる人」。彼我の距離を表す言葉なのだ。

(蛇足。広辞苑で「あなた(貴方)」の項には
「①(「彼方(あなた)」の転)第三者を敬って指す…
②近世以後、目上や同輩である相手を敬って指す語。現今は敬意の度合いが減じている」とある。
使われるほどに敬意の度合いが目減りするのは、例えば「貴様」などでよりはっきり見られる現象。
またさらに蛇足を加えると、「とても」「すごく」といった強調表現は使われるうちにインパクトが減じる。そのため、「超」「めっちゃ」など新たな強調表現が次々生まれることになる、らしい)


人間を「場所・方角」表現で指すことが日本語では非常に多い。
例えば「北の方」は「地位ある人の奥方」だが、「奥方」という表現自体、「奥の方」だという念の入りよう。
 「どこにいる人か」を意識するのが日本語の一つの特徴のようだ。

「あなた」は「あっち側にいる人」。
なんとなく、仲間ではない感じがする。
「わたし」と「あなた」。間にはっきり境界線がある。
「和をもって貴しとなす」が日本の美徳だとすると、相手との間に明確な境界線を引く発言が「敬意」を失って「失礼」に響くようになるのもうなずける。
 

なぜ誰も教えてくれなかったのか?

複数形の「あなたたち」「あなたがた」も使用が難しい。
 
忘れもしない(いい加減忘れたい)教員一年目のとき。
「茶ぶどう先生の『あなたたち』っていう呼びかけが、生徒には冷たく聞こえてるみたい」
そのような指摘を学年のベテラン先生から受けた。
じゃあ、なんて言えばいいんでしょう。
「『みなさん』、とかね」
はあ、なるほど。
 
「あなたたち」と呼びかけた瞬間に、
「私」と「あなたたち」の間に溝ができる。

それはほとんど対立関係である。
「あなたたち」という呼びかけは、そもそも厳然としてそこにある上下関係を改めて突きつける敵対行為に等しい。
「私」は「あなたたち」とは違う。「私たち」ではない。仲間ではない。
 

↑なんと、ここにもはっきり「あなたたち」は×、とあるではないか!
「マナー」だの「作法」だの、私は必ずしもそのまま受容しないが、大学の教職課程ではこういうことも教えてほしかった。
 
それとも、まともに育ったら教わらなくても肌で知っている事柄……だとでもいうのか?
 

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