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からっぽの大人に気づけばなっていた―「ぼくたちの失敗」

「ぼくたちの失敗」(森田童子)をはじめてちゃんと聞いた。

経緯はこうだ。
最近ふとしたことから「砂の果実」って曲があったなと思いだした。
(その経緯は割愛)

「僕は砂の果実 氷点下の青空」
この1行は結構な印象を若かった私に与えた。
中2病のお手本のような歌である。(褒めている)

で、先日BookOffで、「砂の果実」とタイトルにある本があったので手にとってめくった。
作詞者の著書っぽかった。

そこに書いてあったのは、「砂の果実」を作詞する際のオーダーが

   暗い感じで、「ぼくたちの失敗」みたいに

――だったと。

ふうむ。「ぼくたちの失敗」。聞いてみようか。

Youtubeですぐに出てきた。いい時代。
聞くとすぐにわかった、あれか、「高校教師」のテーマソングだ。
ドラマは私は見ていない。でも古いドラマを懐かしむ系の番組(最近はもうやらなくなったかな?)で、最後だけは何回か見た。(1993年のドラマ……私は11歳くらい? もっと古いドラマだと思ってた!)
……あれか。
でも曲をきちんと聞いたことはなかった。

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ

……なんだろう。涙が出てくる。

ドラマのために作られた歌ではなかったそうだ。1976年リリース。

地下のジャズ喫茶。
若くてお金のない恋人たち。
70年代、いや多分もう少し昔の、日本の若者たち……

歌詞のたどたどしさが際立っている。
ほとんど支離滅裂に近い。
話しだしてはやめ、しゃべろうとしても言葉にできず、
「昔の話だネ」と濁してしまう。引いてしまう。
本当に言いたいことに、たどり着かないままに……
あるいは、「本当に言いたいこと」が自分でもわからないままに……

「雄弁」の対局に位置する歌詞が、後悔と諦念の深さを伝えている。

音楽と歌声も、静かに、抑制的に悲しみをにじませている。
宙に浮いているような、不思議なメロディ。
ささやくような、遠慮がちな歌声。
あたたかくて、揺らめいていて。すべてがまじりあうような。
まさに「春のこもれ陽」……
夢のような思い出。
甘くて、苦い。
甘さも苦さも、何かもやもやとした空気に包まれて、直接触れることは、もうできない。

もう一つ別の曲、「時には昔の話を」を思い出す。
『紅の豚』の曲として私は知ったが、やはりリリースはもっと前。
こちらも喫茶店が出てくる。窓から「マロニエの並木」が見えるのだから地下ではない。もう少し、明るい。
そして、写真が出てくる。
「一枚 残った 写真を ごらんよ」

「ぼくたちの失敗」にも、写真が出てくる―と思う。
「変われないぼくたちがいた」は、写真の中のふたりではないだろうか。
お客さんの写真が貼ってあるような、昔のジャズ喫茶。
写真の中のふたりは変われない、でも時とともに色あせてゆく……
「悪い夢のように 時がなぜてゆく」

「時には昔の話を」は、あの頃を懐かしみ、今では所在もわからない友だちが、でもきっとどこかで元気でがんばっているんだと、そんな希望を込めた歌になっている。

「ぼくたちの失敗」も過去を思い返す歌なのだが、全く趣が異なっている。
ここには孤独すら感じられない、無感覚の絶望がある。
後悔を通り越して、ただ、眺めている。幽体離脱をして過去の自分を眺めているような浮遊感。無力感。
「砂の果実」で歌われる「からっぽの大人」が、「ぼく」である。

私は別離と後悔の歌が好きかもしれない。
多分、幸せいっぱいの恋愛に現実味を感じられないからだろう。
noteで初めて?書いたJPOP記事は「香水」だった。

あれが昭和だと「ルビーの指輪」で、やっぱり大好きである。
前奏から何もかもすごくかっこいい、フラれて未練たらたらでみっともないのに。昭和の男はこうやってかっこつけたんだな、と感心する。内実は情けなくても。

「ぼくたちの失敗」はかっこもつけられない、激しさも強さも全て放棄した圧倒的なまでの弱さ儚さが胸をえぐる。
「だめになったぼく」の、消え入りそうな歌声が、心の奥底に、細い光の筋のように、下りてくるのだ。

(PCマダふっかつセズ しょくばヨリオクル)


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……と、職場のPCで昼休みにぽつぽつ打っていたのだが、
今日!! ついに!! PCが戻ってきましたーーーーーやったーーー
みなさん応援ありがとうございました!!!

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