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「Getz/Gilbertoききなよ。夏だしね」と彼女は言った

大学生だった83-84年の頃、とある専門誌でバイトをしていた。東京と神戸にオフィスがあり、社員とバイト合わせて20人ほどの小さな会社だった。1年の時から働き始め、結局卒業するまでお世話になった。社員の皆さんには、公私ともにかわいがってもらった。

うだるような夏の夕暮れどき、バイト先のHさん(20代後半既婚女性社員)と彼女の行きつけの居酒屋に行った。店に入ると、同じく常連さんである同年代の女性がいた。二人はこの店で知り合い、友人になったという。

その日も、待ち合わせたということではなく、偶然同じ日に出くわしただけだった。「仕事も趣味もなーんにも関係のない、単なる飲み友だち」ということらしい。

彼女はジャズピアニストだった。←ここがもう、自分にとって完全にツボ。そしてボストンにある、音楽好きなら誰もが知っているアノ大学出身ということで、私の興味レベルは沸騰点を超えた。

いろいろな音楽話に花が咲いた。当時ジャズを聴き始めたばかりの私は「何かオススめはありますか?」と彼女にきいた。

「そうねぇ、“ゲッツ-ジルベルト”ききなよ。夏だしね

確かに、外は目が眩むほどの猛暑だった。ボッサで清涼感かーいいなー、と思ったかどうか、覚えていない。

その頃の私のバイブルといえば、ジャズ評論家の油井正一氏のジャズ関連本。帰宅して「げっつじるべると」をさっそく調べ、当時住んでいた下北沢の中古レコード屋さんに行き、レコードを購入。

余談だが、80年代前半当時はレコードを買うのは相当勇気のいる行為で、私の優先順位は、1)レンタルレコードで借りてカセットに録音、2)中古レコード屋さんで安いものだけ買う、3)大学の購買部で2割引のレコードを買う、だった。

こうして「ゲッツ-ジルベルト」は、私のジャズレコード購入歴5番目以内に入る初期コレクションとなった。

大ヒット曲「イパネマの娘」はもちろん、「Desafinado」「Corcovado」「Só danço samba」などはその後いろんなミュージシャンのカバーで聴くことになる名曲揃いだ。初めて聴いてから40年経った今も、夏になると必ず聴いている。

彼女を一躍有名にした「イパネマの娘」「Corcovado」を歌ったAstrud Gilbertoが6月5日亡くなった。知らなかったが、ずっとアメリカに住み、亡くなったのはフィラデルフィアとのこと。近くにいたんだな。

素晴らしい音楽をありがとう。

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