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ニューヨークでサッカー?

大学院入学のため越してきた1995年のニューヨークは、日本の80年代後半のバブルのような時代だった。駐在や留学で来る日本人も今より多かったと思う。自分は32歳で学生だったが、20代の駐在員がたくさんいた。

今はなきOCS Newsという日系新聞があった。その求人欄に「芝生の上で思い切りサッカーしませんか?」という広告を見つけた。「日曜朝9時に旭屋書店の前に集合」だという。行ってみると、日本の若い衆が本屋とその向かいのデリの間の路上に、もわーっと徘徊していた。

人数を確認すると、その日車で来ている人の台数で割り、乗車。余った人はタクシーで川向こうのNJへ向かうという。

ジョージワシントンブリッジ(NY在住日本人は“ジョーワシ”と呼ぶ)を超えてすぐ近くの公園に行く。そこで今日集まった人数を二で割り、7対7とか8対8でキックオフ。

無許可なので、たまに市町村の公園管理者が現れ「おまいらここでサッカーしたらいけんよ」と言われる場合もあり、そんな時は速やかにその場を去り、また近くの公園に行く、というナイスな環境👍

集まる人の中には駐在員や学生だけでなく、不法就労者・滞在者などもいた。バブルな世の中だったので、レストランなどでビザなし不法バイトでやっていける時代だった。

世界中を旅している途中NYに立ち寄り「2年ぶりに仕事をしている」と笑っていた人もいた。彼は寿司屋で働いていたが、就労ビザなしで雇うとレストランも取り締まられるので、今ではできないと思う。のどかな時代だった。

脱線してしまったが、そうこうしているうちに「チームをつくりリーグ戦に参戦しよう」ということになった。そこで知ったのだが、日本人によるサッカーチームがNYにはたくさんあった。どこの何というリーグか忘れてしまったが、試合に出ることになった。

20代の連中が多く、32歳の自分は年長の方だったが、年に関係なく「ノリ」が合わず、サッカー以外で親しくなることはなかった。

リーグ戦はブルックリンのひなびた公園の、ぼろぼろのピッチで小雪の舞うなか行われたり、良い記憶はまるで、ない。

アメリカの大学でサッカーしていた奴らもいた。高校サッカーで超有名高出身のやつもいた。研究のため渡米していた医師もいた。今はなきニューヨーク◯◯屋の社員もいた。駐在でもない、若くもない留学生の自分は、プカーと浮いていた。

こうして振り返ると、人の集まりとかやっていることがずいぶんアナログな時代だった。「ニューヨークでサッカー」は97年まで続き、今も続くニュージャージーのサッカー人生は、98年から始まる。

(写真はサッカーとは関係なく、紀伊国屋書店ニューヨークの2階窓から覗いたブライアント公園)

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