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彼女がレイプされ自殺してから10年経ったので心の整理

初めて投稿します。

彼女の人生を奪い、私の人生を大きく変えた出来事の話です。

10年経ったのでそろそろ私も気持ちに整理を付けなくてはと思い、いまパソコンに向かっています。

10年前のことです。
4年間付き合った彼女がレイプされ自殺しました。

私のnoteではこの事件のことと、彼女と私のことを紹介します。

彼女との出会い

彼女と私は同じ大学で、入学式のあとのクラス分けで出会いました。

同じクラスで授業も一緒になることも多く、すぐ仲良くなりました。

同じ授業に出たり、一緒にお昼を食べたり、お互いの将来について話したりしている間に自然と仲良くなり、入学してから1ヶ月経った大学1年生の5月、私たちは付き合うことになります。

大学という新しい環境、大好きな彼女、自分たちの将来への期待。

毎日を幸せに暮らしていました。

お互い大学生ということもあり、私たちは毎週のようにデートに行きました。

一緒に買い物に行ったり、動物園に行ったり、美術館に行ったり。

彼女も私も映画が好きで、お互いの家や映画館でよく映画を観たことを覚えています。

彼女からの電話、出れなかった後悔

ある日、彼女から映画に誘われたのですが、その日は私は遅くまで授業があり一緒に行くことができませんでした。

ところがその作品は今週で終演。

別日にすることもできず、残念でしたが彼女ひとりで映画を観に行くことになりました。

そしてその日の夜、私が授業を受け終わり、彼女は映画を見終わって少し経ったころだったと思います。

私が電車に乗った直後に彼女から電話がかかってきました。

電車に乗ってしまったのでその電話は取れず、数分後に電車を降りてからかけ直します。

「ごめん、電車乗っちゃってた。映画どうだった?」

私が問いかけても彼女は黙ったままです。

「もしもし?大丈夫?」

何度か繰り返したのち、やっと彼女は

「うん、大丈夫。また明日ね。」

とだけ答えて電話を切りました。

不思議に思ったものの、私は特に気にすることもありませんでした。

この電話に出られなかったことに、私は後々後悔することになります。

彼女の様子が変わる

その日を境に、彼女の様子に違和感を感じるようになります。

具体的には

・私と目を合わせない
・私と手をつながない
・大きな音に過剰に反応する

何かおかしいと思いつつ、19歳の私は気づいてあげることができませんでした。

気になって何度か聞いてみるものの、彼女は「なんでもない」と言うだけ。

私はただ不思議に思うだけでした。

しかし2ヶ月ほど経ったある日、彼女から電話がかかってきました。

電話に出ると、すすり泣いている声がします。

そこで彼女は、泣きながら告白してくれました。

「ごめんね…。
ずっと言えなかったけど、映画を観たあの日ね…。
暴行にあったの…。」

絞り出したような声で、何度も謝りながら話してくれました。

「目の前が真っ白になるって本当にあるんだな」とどうでもいいことを一瞬考えたことを覚えています。

彼女は何も悪くないのに、何度も何度も繰り返し謝ります。

それほどまでに、彼女の自尊心はずたずただったのでしょう。

それで全部納得できました。

だから私とも手を繋げなかったんだと。男性が怖かったのかと。

どんなに怖かったか、どんなに辛かったか。

あの時出られなかった電話は、事件直後にかけてくれた電話でした。

事件の直後、頭がパニックになり辛さ怖さと戦いながら、なんとか電話をかけてくれたんだと思います。

なのに私は出てあげることができませんでした。

あの電話に出られなかったことはいまだに後悔しています。

事件直後

彼女が暴行を受けたのは大学2年生の冬、まだ19歳でした。

犯人は見知らぬ男性で、楽しみにしていた映画の帰り道です。
事件についてそれ以上の詳しい情報は聞けていません。

事件があってから彼女は毎日ひどいフラッシュバックに悩まされ、事件のことを思い出すとすぐに自殺しようとするようになったからです。

そんな状況で彼女に事件の詳細を聞けるはずもありませんでした。

なので、犯人は捕まっていません。

私は悔しかったですが、彼女にこれ以上辛い思いさせることはできませんでした。

犯人を捕まえるために彼女を苦しめるより、なんとか彼女が穏やかに暮らせるようにと考えるようになります。

これまでは気丈に振る舞っていた彼女ですが、私に打ち明けたことで緊張が解けたのか、堰を切ったように感情が溢れ出すようになりました。

突然自分の髪を切り落としたり、人が近づくだけで泣き出したり、叫び出したり。

毎日のように自殺未遂をしました。

24時間365日、いつ本当に死んでしまうかわからない。

深夜や早朝に

「いままでありがとう、私もう終わりにするね。」

そんな電話がかかってきます。

その度に私はタクシーを捕まえ、車で15分ほどの彼女の家まで駆けつけました。

私は授業もバイトも、友人との時間も自分の睡眠時間もすべて削りました。

すべて彼女優先です。

「なんとか生きていて欲しい」

その一心でした。

やがて私の精神も限界に

早朝でも深夜でも、彼女の自殺衝動は突然湧いてきます。

そうなれば深夜に彼女の家に駆け込み、衝動がおさまるまで彼女と一緒にいます。

そして彼女が寝るのを見届けてから私も彼女の部屋で寝ていました。

ところが2、3時間寝たらすぐ朝がきます。

起きて学校に行き、授業を受けてバイトに行き、ご飯を食べようとしたらまた彼女から電話がある。

こんな日々を過ごすうちに今度は私の方も精神的に参ってきてしまいます。

睡眠時間がなかったこと、食事も取らなかったこと。

そういった体力的な疲労もあったのでしょうが、

彼女がいつ死ぬかわからない

という緊張感に参ってしまったのだと思います。

その頃から、私は彼女に黙って大学の学生相談室に通うようになります。

第三者にこの事件のことを話すのを彼女は嫌がるだろうと思い、これまで誰にも話せていませんでした。

ですが、

このままだと私がダメになる。私がダメになれば彼女もダメになる。

そう思い、彼女への後ろめたさもありましたが学生相談室で(彼女の名前は伏せた上で)事件の話を聞いてもらい、毎週カウンセリングを受けました。

彼女に黙って通っていたのは、彼女にその話をすれば彼女は責任を感じてしまい、また悪い衝動を掻き立ててしまうだろうと思ったためです。

彼女が社会に戻るまで

そんな状況であっても、私は「なんとか彼女に社会に戻ってほしい」と思っていました。

事件直後は誰とも話せないし、外に出歩くなんて考えられません。

でもなんとか立ち直ってもらおうと、いろいろ試行錯誤を始めます。

まずは玄関のドアを開けるところからです。

彼女はマンション暮らしだったので、玄関のドアを開けても廊下があるだけで誰かに会うことはありません。

それでも暴行被害にあった彼女にとって、「部屋の外に出る」ということは大変なハードルでした。

ドアを開けようとドアノブに手をかけ、フラッシュバックして泣き出す。

その度に2人でまた部屋に戻って、彼女を落ち着かせてその日はおしまい。

こんなことを何度も繰り返します。

1ヶ月ほど続けたでしょうか。やっとドアノブを自分で回し、彼女の力で玄関のドアを開けることができました。

私は本当に嬉しくて、頑張ってくれた彼女を思って泣きました。

そのあとは徐々に行動範囲を広げていきます。

部屋の玄関を開けたら、次はマンションのエントランスまで。

その次はマンションの前の道路まで。次は道路を渡るまで。

近くの公園に行く、コンビニに入る、スーパーに入る。

本当に少しずつですが、その「少し」を乗り越えるために彼女は何度も泣きました。

これら普通のことが彼女にとっては大変な苦痛で、一つ一つできるようになるまでじっくり焦らず続けるしかありません。

この間、彼女はもちろん大学には行けていませんでした。

大学へ復帰

こんなことを1年ほど繰り返したでしょうか、やっと彼女は大学に復帰します。

復帰といっても一人で電車に乗って授業を受けることはできません。

私が家まで迎えに行って、イヤホンをさせて周囲の音を遮断して、フードを被ってなるべく視界を塞ぎ、一緒に大学に行きます。

授業も隣の席で受けます。

それでも、事件直後を思えば本当に本当に大きな変化です。

そして大学に復帰して半年ほど経つころには、1人で電車に乗って1人で授業を受けられるようになりました。

フラッシュバックの日々

この頃には周囲から見てもごくごく普通の女子大生に映っていたはずです。

友人とも普通に話せましたし、まさかこの子がそんな被害にあったと想像する人はいなかったでしょう。

それでもフラッシュバックはまったく治りませんでした。

やはり早朝深夜関係なく、フラッシュバックはやってきます。

いつフラッシュバックが起きても助けられるように、私が彼女の部屋に泊まることもありましたし、私が彼女の近くにいなくても彼女から連絡があればやはりタクシーで飛んでいきます。

それでも彼女はだいぶ立ち直ったと、私も彼女自身も思っていました。

その頃はちょうど就職活動の時期でもあったので、私も彼女も就活に忙しく、他の学生と同じ生活をしている彼女を見て、私は少し安心していました。

彼女のお母さんから電話

ですが、フラッシュバックは突然やってきます。

発作のようなものですし、その状態になると正常な判断なんてできないです。

卒業を2ヶ月後に控えた大学4年生の2月、彼女は自ら命を断ちました。

22歳でした。

彼女の自殺を、私は彼女のお母さんから電話で聞きました。

2月下旬の晴れた日の早朝、5時くらいのことでした。

彼女のお母さんとは事件直後から密に連絡を取り合っていたので、彼女のお母さんから電話が来ることは珍しくありません。

いつもどおり電話に出ると、電話口には押し黙ったままのお母さんがいます。

しばらく待っても何も話しません。

少しおかしいと感じて何度か問いかけると、お母さんは泣きながら

「あの子が、自殺を、しました。」

と教えてくれました。

目の前が真っ白になる、2度目の経験です。

手も痺れて耳鳴りもします。

ろくにペンも握れませんでしたが、お母さんが教えてくれた葬儀場の住所をなんとかメモしたことを覚えています。

彼女は本当に頑張ってくれました。

尊敬できる、大好きな彼女です。

しかし、最後は自ら命を断ってしまいました。

助けてあげることができなかった。
どうしてあげたらよかったのか。

いまでもこんなふうに考えます。

「社会に出たら結婚しよう」と思っていた矢先の出来事でした。

どうして彼女なのか

どうして彼女が?彼女は死んだのにいまも犯人は笑っているの?生きることの意味ってなに?

あまりに理不尽な出来事で、私自身も精神を壊し彼女の後を追うことすら真剣に考えました。

間違いなく私の人生で最大の出来事です。

この出来事はごく限られた人しか知りません。

あまり人に言うつもりもありませんでした。

しかし、ニュースや報道で「暴行」、「自殺」という言葉が出るたびに動悸が止まらず、社会に対するどうしようもない憤りを感じていたのも事実です。

そして、2020年現在、性犯罪に関する刑法改正が注目されてきたこのタイミングこそ、私の経験をどこかで語っておくべきじゃないかと思いました。

私の彼女や私のような思いをする人がこれ以上増えないように、私の経験が生かせれば嬉しいです。

性的暴行が被害者にとってどれだけ苦しいものなのか、どう人格を変えるのか。

被害者を愛する人がどれほど苦しむのか。

自ら命を断つことの決断がどれほど理不尽なものなのか。

私のnoteではそういったことを綴っていこうと思います。

2点だけ、これからnoteを書くにあたりお伝えさせてください。

1つ目は、彼女のプライバシーのため、実名や実名を特定できそうな詳細な情報は伏せさせていただきます。

そしてもう1点、このnoteを書くことは10年経ったいまでも正直かなり辛いので、ゆっくり更新することになるかもしれません。

それでも彼女が頑張ってくれたことを残しておきたいと思いますので、見ていただけると嬉しいです。

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