YouTubeについて

YouTuberの知り合いを持つこと
日常のコミュニケーションを大切にすること
上記の二つは動画投稿において重要な要素となる。

YouTubeは法律や規約に反しない限り何を動画にしてもいい、ビジネスを超えた表現の場である。なぜなら、誰でも手軽に簡単に情報発信ができるからだ。がんじがらめの検閲を通さず、自分の伝えたいことを世界に向けられることは、発信ツールとしては非常にハードルが低い。さらに動画として生み出せるということが表現のバリエーションを豊富にする。

Twitterやインスタグラムなども発信ツールとしてはハードルが低いが、文字や写真などの情報量に制限がある。鍵という機能も身内だけの閉じた世界になりやすい。YouTubeやそれに並ぶ動画サイトは、鑑賞する人間を意識するため、象徴的に言えば開かれた世界であろう。しかし、YouTubeは投稿そのものに壁がある。

ここにおいて、発信する勇気と知恵が必要となるのだ。

数日前、大学の後輩がYouTube出演を果たした。以下、その後輩をYと呼ぶ。出演、と言っても、Yの友達がYouTuberであり、ゲストとしてお呼ばれされた、という経緯である。

その動画の内容は以下である。
趣旨としては25歳主婦を自称する女性の食生活を2日に渡って追うというものである。
軽快な音楽と共に、この女性が朝食を取るところから始まる。パンと味噌汁のようなものが映る。この組み合わせについては違和感を覚えたが、特に触れることもなく動画は進む。忙しくても旦那と朝食を食べるようにするというテロップに、日常の幸せが汲み取れる。
昼食、横浜のカフェを紹介。サラダ、カフェラテ、アボカドのロコモコなどを食す。途中、映像の謎の反転など工夫がある。余談であるが、筆者は返事を保留にされている人と数日後に横浜デートを控えている。この部分に関しては複雑な心境で動画を鑑賞した。
夕食、旦那と宅飲み。ちらちらと旦那が動画に映り、やはり日常の幸せをひしひしと感じる。筆者が経験したことのないような日常がそこにはあった。
1日目終わり。
2日目はいきなり夕食。このYouTuberとYの居酒屋の場面から始まる。途中で動画をカットしていたが、その部分が非常に気になった。おそらく誰かが傷つく内容だったのだろう。
簡単ではあるが、以上が動画の内容である。

そして、筆者はこの動画に感化された。なぜなら、なんてことのないような日常が作品になっていたからである。Yも初出演にも関わらず楽しんでいることから、動画を撮られること自体には慣れているようだった。いや、YouTuberが、そのような雰囲気を作り出したのだろう。コミュニケーションの高度な技術である。さらに、動画のコメント欄にダニエルと名乗る男から、Yの容姿について褒める内容のものがあった。コメントを含めて動画の作品といったのは、大学の後輩Oだったろうか。後輩Oの極めて鋭い考察である。

上記から筆者が感じた事は二つある。
一つ目は、知り合いがYouTube出演を果たすだけで、YouTubeに出たくなるということ。仲間と出たい、もしくは作りたいと不思議と思えるのである。これは理屈ではない。人間の根底にある承認欲求というものだろうか。「発信する勇気」を与えてくれる。
二つ目は、日常の些細な出来事を面白くする努力が大切だということ。これは能動的にならなければ発見出来ない。飲み会や旅行など、積極的に家族や恋人や友達と楽しませるコミュニケーションを取っていくことが重要だと考える。これは動画作りの「知恵」になるのだ。

以上から、YouTuberの知り合いを持つこと、日常のコミュニケーションを大切にすることが、動画発信の基礎となるだろう。

追記
動画の元ネタ主へのお礼の連絡をYを通してした際に、動画を載せても良いとの許可を頂いた。
下記参照。

https://youtu.be/D2TJHB8HEH4

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