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機械学習とか人工知能の技術が枯れた技術になってきた昨今、ぼくが想像する10年後のネットサービスの開発のあり方について 【2015年6月寄稿】

【加筆 2021/9】
2021年になってこの文章をたまたまインターネットアーカイブのサイトで発見しました。自分が過去に考えていたことが具現化されていて、それが様々なsaasサービスの台頭やsaas同士の連携やノーコードサービスという形で実現されたのだ、ということを振り返ることができました。
技術的な史観みたいなものの動きを捉える部分は昔からそんなにピントがずれずに生きてきたので、システム開発上の致命的なミスは少ない方かな、と思います。

最近仕事でいろいろとディープラーニングとか機械学習とかについて、考えたりすることが多くなってきました。そこで今私自身が考えていることをまとめてみることにしました。

私はよく外部からエンジニアと誤解されますが、なんちゃってエンジニアでしかありません。そんな私が「PHPを勉強したほうがいいよー」と言われたのは、今から15年ほど前の2000年です。

ちょうどWAP向け検索エンジンを運営していたときです。25歳。検索エンジンといってもcsvファイルを単に文字列検索できるperlをネット上から拾ってきて改造して提供していたぐらいでした。検索エンジンというよりは、私の根気というか、情報収集力でもっていたようなサービスでした。

PHPの日本語向けの書籍がなくて、当時はネットの開発者向けコミュニティも少なくて、逆に情報が少なくて、いい筋の人からそれを聞かされたということは、それを少しでもかじればそれでご飯が食べられるのではと思いました。

同じ人に言われたのは「さとうくん、10年ぐらいたつと、こうしたネットサービスを開発したりするのは、htmlのコードを書くよりも簡単になる時代がくるんだよー」と言わました。なんとなくそうなのかなーとは思いましたが深くイメージできない自分がいました。

その後、BLOGサービスがきて、情報発信コストが大きく下がり、LAMP系でMysqlとか使って少し複雑なネットサービスをかなり普通に提供できるような時代がやってきました。

開発環境はさらにどんどん変わり、参入障壁は日々低くなり、競争がグローバルになりました。どんどん時代は変わります。

そして昨今の、人工知能ブームなわけですが、今更ながら自分もさわってみると、この分野も急速にツールや仕組みがこなれてきた上で、さらにはオープンソース化と、コモディティ化が進みつつあるのだということがわかってきました。(だからこそ、今回は各社とも本気なんだと思います。)

いまどき単なるネットサービスは、だれもが作れるし、大した付加価値も出せないし、正直中学生の自由研究題材のような存在になってきてしまってます。

scikit-learnでちょっとした機械学習をするのは、LAMPでちょっとしたWebアプリをつくるよりも簡単です。

そして、それが人工知能の分野にも及んできている。そしてこうしたソースコードがGithubを通じて世界中に公開され、開発情報はどんどんインターネット上で共有され、それを見ず知らずの人が活用する時代です。

ただこのブログにありますが、前提知識なく理解せずそれをやろうとすると、今は意外と無駄も多い。近くに機械学習系の開発の経験者がいる、実務的にそれをやっている人がいる、というのが今は効率的なようです。

機械学習の仕組みを活用してサービスを企画するのではなく、今まですごく手間がかかつていたようなことを機械学習の仕組みの中で枯れた技術となっている部分をうまく組み合わせて競争力あるサービスに生かしていくという流れです。

そして、単にこの分野で勝つというよりは、次の時代のインターネットサービスの一般教養のような形になっていくように思います。

機械学習とは、抽象的に書くと「コンピューター同士の対話」みたないものです。(botも少しそれに似ていますけど)そしてその対話がどんどん賢くなっていくようなものです。

アジアの人たちはスマホアプリに語りかけて使います。wechatのUXの影響も大きいんだと思いますけど、文字とバイナリーデータで構成され、だからこそ閲覧ソフトが強かったインターネットの仕組みは、今一度再編成されて、人間と機械、機械同士が共鳴しあう新しい仕組みになっていく、そういう時代にどのようなサービスが求められて、どう開発していくか、というイメージを持つということになっていくのだと思います。

と、単なる妄想になってしまいました、が。

この記事は「投げ銭」記事です。ポジティブにお金が回る仕組みにしてみたいと思いました。記事をおもしろいと感じてくださった方は「投げ銭」をよろしくお願いします。