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イケてるオンナの10ヵ条

イケてるオンナの10ヵ条

1 イケてるオンナは感謝する
イケてるオンナは「ありがとう」を惜しみなく伝える事ができます。

2 イケてるオンナは謝罪する
イケてるオンナは「ごめんなさい」を素直に伝える事ができます。

3 イケてるオンナは良く笑う
イケてるオンナは良く笑います。
お淑やかに?それとも大口を開けて?
どんな笑い方でも良い。自分らしく喜びを表現する事ができます。

4 イケてるオンナは良く泣く
イケてるオンナは良く泣く事ができます。
辛い事があった時、心震える素晴らしい景色や音楽、芸術に触れた時
泣き顔がグシャグシャでも構わない。
涙を流し、自分自身を浄化してあげる事ができます。

5 イケてるオンナは言い訳をしない
イケてるオンナは言い訳をしません。
自分が何をしたいか、何をするべきかを自分で理解し、実行する事ができます。
自分の人生の舵取りをしているのはいつだって自分自身。
自分の言動に自分で責任を持つ事ができる。だから言い訳をする必要がないのです。

6 イケてるオンナは上機嫌
イケてるオンナは自分で自分の機嫌をとる事ができます。
イライラは公害!イライラすれば無意識に周囲に当たり散らしてしまったり、周囲の人々のエネルギーを奪ってしまう。
イケてるオンナは自分がどうしたら喜ぶかを知っている。そして、自分が喜ぶ為の行動を自分で行う事ができる。だからイケてるオンナは上機嫌なのです。

7 イケてるオンナは変化を楽しむ
イケてるオンナは変化を楽しむ事ができます。
本来、オンナという生き物はこの長い人類史でとっくに淘汰されてもおかしくないほどひ弱な存在。それでも今日までオンナは存在し続けている。それはなぜか?
オンナは体力や腕力、体格で男よりも恵まれない分、聡い精神性を武器にこれまで戦って来た!
外側の変化を敏感にキャッチして、柔軟に対応するしなやかさを武器に群れや家庭を守って生きて来た!
今は昔とは違い、文明が発達した事によって身近に死の恐怖を感じる機会も少なくなった。だからこそ、昔は生き抜く為に必要だった精神性という武器を楽しんで人生を謳歌する為に使う事ができる!

8 イケてるオンナは「お願い」する事ができる
イケてるオンナは自分の不得意な事を他の誰かに「お願い」する事ができます。
腕力のいる日常動作や体力のいる仕事は、それが得意な誰かに「頼る」事ができます。
「なんでも自分一人でやらなくちゃ!人に頼らず自分だけでなんとかしなくちゃ!」その自立心は立派だけれど、それじゃ社会は回らない。
お互いにないモノを補い合って、私たちは生きて来た。
一人前のイケてるオンナは、自分の弱さを理解し受け止めているからこそ、自分の苦手を誰かに補ってもらい、誰かの苦手を自分が補うという人間の在り方を真髄から理解している。だから感謝もできるのだ!

9 イケてるオンナは自分の行動に責任を持つ事ができる
イケてるオンナは責任という言葉をきちんと理解している。
だからこそイケてるオンナは責任という言葉を重く捉えない。
イケてるオンナは自分の言動に責任を持つ事ができる。
だからこそイケてるオンナはすべてを自分ひとりで抱え込まない。
誰かの為に…私ひとりが我慢すれば…。なんて自己犠牲心、今どき流行らない!
「綺麗な言葉で責任放棄なんてNo thank you‼︎」とはっきりと伝えられるのが真のイケてるオンナ!

10 イケてるオンナは酸いも甘いも知っている!
イケてるオンナは甘い理想論に溺れない。
イケてるオンナは夢見るロマンチストのような現実逃避はしない。
光の中に光を見つけるのは生まれたばかりの子どもに任せよう。
イケてるオンナは闇の中にも光を見出す事ができる。
イケてるオンナは闇から愛を生み出す錬金術が使えるのだ。
与えられたモノを与えるだけじゃなく、与えられなかったモノも与えられる
酸いも甘いも知っているからこそ、綺麗事はNo thank you‼︎
宙に浮いた助言より、イケてるオンナは地に足つけて生きるその生き様で語るのだ!

…如何でしたか?
私自身、まだまだイケてるオンナにはほど遠いと思う事もありますが…
イケてるオンナで在る為に✨イケてるオンナで在り続ける為に✨
これらの10ヵ条を胸に刻んでオンナである人生を楽しんでゆこうと思ってます💓

そしてこれからイケてるオンナの10ヵ条が何ヵ条に増えるのか?笑
楽しみにしながら、私が私らしく💖私が愛せる私であり続けます🐈💕

皆様の是非、自分なりのイケてる○○シリーズをシェアしてくださいね🦩💙

🐈💜🐈

ジェンダーの多様性やフェミニズム、ルッキズムについて
声だかに叫ばれれば叫ばれる程、私はずっと違和感を拭いきれずにいました。

行き過ぎたフェミニズムやルッキズムは男女を分断し、女と女をも分断し…
「女の敵は女なのよ」というマイメロママの言葉が如何に真理だったかを証明しているよう。

性別を理由に差別されたり、何らかの不利益を被る事があってはならない。
外見を理由に差別されたり、何らかの不利益を被る事があってはならない。

そんな当たり前の事に
なぜ、今更注目が集まっているのでしょうか?

如何なる理由があっても、個人の人権や尊厳は尊重されるべき。

日本国憲法でも人権についての記述があるように
個人の人権は保護されるべき尊いモノ。
けれどそれって、女だけに与えられた特権なんかじゃない筈。

人間を性別で区別する事は差別だと声だかに叫びながら、自分が一番「ひ弱な女性像」をひけらかしている。
男女区別する事なく平等に扱われるべきだと叫びながら、「女性は庇護されるべき弱い存在」であると誰よりも思っているのはきっと彼女自身。
女性を守る為の活動と称しながら、結局は「過去に虐げられた自分」を守る為に戦っているような気がしてならない。
男女平等を謳いながら、結局欲しいのは女性の特権?

真に平等を訴えるのならば、
私たち女性も男性と同じように工事現場で力仕事をするべきだし
私たち女性も男性と同じように戦地に赴かなければならない。

挙げ句の果てには、自分で自分を売った人間が
「私は買われた!」なんて…自分の行動にすら責任を持てない人が
社会全体のルールを変えて、あわよくば公金を使おうとしているなんて…。

さぁ、こんな考えの私は果たしてレイシスト(差別主義者)なのでしょうか?

フェミニズムとは?

女性に対する差別や不平等の解消を主張する考え方。男女同権論。女性解放論。
Googleより引用

ルッキズムとは?

外見重視主義。主に人間が、視覚により外見でその価値をつけること。
Wikipediaより引用

この世には男と女しかいない。
本人の性自認はともかくとして、この世は男と女で成り立っている。
それは歴とした事実。

女は男よりも体格で劣ります。
女は男よりも腕力で劣ります。
女は男よりも体力で劣ります。

これまで、女性が男性に虐げられた時代や社会もあったでしょう。
これまで、女性が女性であるが故に奪われたチャンスもあったでしょう。

けれど、私たち人間は男と女が手を取り合い、営みを続けて
この社会を、国を、文化を、文明を築き上げて来た。

私は女性であるけれど、決して被害者にはならない。
私は女性であるけれど、決して犠牲者にはならない。

なぜなら、私自信が私を被害者・犠牲者なんて思っていないから。

過去、性暴力を受けた事がある。
けれど私は私の力と、周囲の助けを借りてやって来た。

あのまま燻っていたら、私はきっといつまでも被害者だった。

自分を被害者にするのはもうやめて
自分を犠牲者にするのももうやめて

女である事を後悔なんてしない。
これからも女としてこの人生を生きていく。


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