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許す人〜自分のお役目について〜

なんだか、どうしても発信したい…!と思いまして、本日2度目の投稿になります。

私は常々、今世での自分のお役目について考えます。

そして、私の今世でのお役目は受け入れ、許すことなのではないかな?と感じます。

なんだか、この言い方だと自分という立場を上に置いているようで、しっくり来ないのですが…適切な言葉を今現在探している状態です💦

許すというのは、他人を許すということではありません

その瞬間、己が感じた絶望や怒りを切り離すことなく、自分として統合していくことが許すことではないかな…と感じます。

少しセンシティブな話になってしまいますが、私は幼少期に虐待を受けていました。義理の父親からです。

そして中学生の頃には痴漢被害に、高校生の頃に性被害に遭いました。

そういった経験から、私は男性を嫌悪しておりました。また、実父も不倫を繰り返し、それによって母親が多大な心労を抱えている様をまじまじと見てきたので、なおさらです。

思い返してみると、私はほんの小さく幼い頃から男性を嫌悪する種を持っていました。…いえ、握りしめていました。それは大事そうに…。

ヤングケアラーとしての10代を経て、20代は入退院を繰り返し、絶望と怒りを抱きしめて生きていました。

実父のことも、義父のことも、性的な目で見てくる男性のことも、大嫌いでした。女性であることを嫌い、極端に男性から距離をとったこともあります。

長い暗闇を歩いているかのような日々。もしかしたら、今現在も苦しい思いをされている方がいらっしゃるかも知れません。

そういった方々に私の声が届くのならば、伝えたいこと。それは許そうとしなくてもいいんだよ、ということです。

私の経験則で申し訳ないのですが、私が「前を向いているな」、「長い夜が明けようとしているな」と明確に感じ始めた頃、頻繁に噛みしめるようになった感情があります。

それは、「あんなにも辛い日々を乗り越えた私ってすごいな、偉いな」という過去の自分自身に対する誇らしい感情です。

ある時から、辛かった当時の自分に感謝するようになりました。

「あの時の私がなんとか踏ん張ってくれたから、現在の自分がいるんだな」

私の中にはいくつもの私が共存していて、例えば

・実父の浮気現場を目撃した時の自分

・母親が実父に離婚届を突きつけているのを目撃した自分

・義理の父親からの虐待を耐えていた自分

など、人生における重要な転換期の数だけ、私が存在しています。

どの自分が欠けていても、現在の自分は存在しなかった

そういった考えが私の中で定着してきた頃、私の中でまた変化が起きました。

それまで憎んでいた存在への、憎しみも愛情もない状態へと移行したのです。

特に憎んではいないけれど、愛情もない。ただ、私の知らないところで幸せに生きてください私は別の場所で幸せにやっておりますので。という考え方に切り替わりました。

そして、そういった経験を経た自分だからこそ、高い共感性を養われたんだな、という実感も沸きました。

その高い共感性によって開けた道や、人間関係がありました。

これを踏まえて、私の中で許すという定義が変わりました。

外側(他人や社会、世界)を許すのではなく、内側(これまでの自分)を許すということ。

なので、私の指す許すとは、現在の自分がこれまでの自分を許し、受け入れてあげるという完全に自分の中で完結した感情であり、儀式のようなものでもあります。笑

私の人生を振り返ってみると、自分を許すキッカケになり得る出来事がたくさんあったのだな、と気付かされます。

そこで、私は今世の自分のお役目を許すこと、と捉えるようになりました。

けれど、同時に私は非常に恵まれていました

経験する機会にも恵まれましたし、友人関係や祖父母からの愛情など、私はここに至るまでにたくさんの豊かさに恵まれてきました。

なので、私は他者に許すことを強要したくありません

けれど、どうかこのメッセージが届くのならばひとつだけ…。

許せない自分自身を許して差し上げてください

それが私の祈りです。

あなたの苦しみはあなただけのものです

すべてを許して差し上げましょう、なんてとても言えません…。

私が許せたのは、許すための環境に恵まれていたからだと思っています。

運が良かった。つくづく思います。

昨今、スピリチュアル的な生き方に目覚められる方が多くいらっしゃいます。

ご自身の魂に寄り添って生きていくことは、とっても素晴らしいと思います。

しかし、それと同時に悲しい現象も多数お見受けします。それはスピリチュアル的な思考の押し付けです。

愛と光、調和の世界へ。誰もがそちらに向かいたいと思うでしょう。

けれど、ここは地球です。私たちは重力に逆らっては生きてゆけないのです。この地球では。

人はみな、それぞれの道を歩んでいます。

目指す場所も違えば、過程に用意されている障害物の数、種類もそれぞれ違うのだろうと思います。

前提からして違うので、他人が許せることを許せない自分がいても、苦しむ必要はない

他人が許せないことを許せる自分もいる筈です。

こうして文章を打っていると、己の未熟さを実感します…。適切な言語を選択することが難しい…💦

けれど、祈りをこめてこれだけをお伝えさせてください。

あなたの中に、憎しみや嫌悪などの重たいエネルギーを放っている感情があっても大丈夫。

なかなか手放せなくても、大丈夫

波動を軽くしようと頑張らなくても大丈夫

苦しみながら、それでも光を求めるあなたは素敵です。愛おしいと思います。

他人や世界を愛せなくても、あなたは愛されています許されています

どうか、あなた自身がそれを忘れてしまっても、それを思い出し、実感できる瞬間が訪れますように。

拙い文章で申し訳ございません。

愛しています。

あなたのために用意された世界

「あなたのために用意された世界」

扉は開かれています。

あなたの今世でのお役目はなんですか?是非、シェアしてください💓






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